春を呼ぶ {炎}--南無観世音--古都の祭典
厳格な清浄さで慰霊と災害.復興への祈願
二月堂本尊の十一面観音に人々の罪を懺悔
{五穀豊穣}幸せを祈る ニ月堂{修二会}
今年は1261回目~春寒の弥生三月
十五日未明 大和路の春を呼ぶ煌めく{炎}
古都の祭典は 満行を迎えました
東大寺.法華堂{三月堂}「北門」芭蕉の句碑
二月堂へ往く前に 広い東大寺境内で
最初に訪ねたのが大仏殿の創建より古く
天平四年(733) 良弁僧正創建 {金鐘寺}の
一堂でもある 法華堂{三月堂}でした
水取りや 氷の僧の 沓の音 {芭蕉~二月堂}
東大寺・三月堂「龍王之瀧」の前
水取りや 氷の僧の 沓の音
《 水取りや 籠の僧の 沓の音 》
天下安泰.万民幸福~1261回目を迎えた
伝統行事が粛々と行われている~
ニ月堂 {修二会}の 御隣りでもある
法華堂「北門」)にある 芭蕉の句碑は
《水取りや 籠の僧の 沓の音》
ところが 松尾芭蕉が 貞享元年 伊勢・伊賀
大和・近江を巡った「野ざらし紀行」の
稿本・写本の中でも 芭蕉 直筆とされている
『天理本』には [籠の僧]ではなく [氷の僧]と
なっているそうです
二月堂に籠りて (前書)
水取りや 氷の僧の 沓の音
{天理大学付属 天理図書館は 小生の
地元でもあり 高校生時代から屡 受験勉強と
称して利用させて頂いていましたが残念乍ら
未だ芭蕉 直筆とされている『天理本』原本を
拝読させて頂いていません~~~
俳壇の 大御所によれば
「氷の僧だから名句だと言える!
籠の僧とすれば 駄句に過ぎない!」とのこと--
『佳景寂寞として心すみゆくのみおぼゆ』
推敲の名手.芭蕉
{奥の細道} 山寺{立石寺~蝉の句}は
推敲例として有名ですが~
山寺や石にしみつく蝉の声 {曾良書留}
淋しさの岩にしみ込せみの声 {木がらし}
さびしさや岩にしみ込蝉のこゑ {初蝉.泊船集}
閑さや岩にしみ入蝉の声
{閑さや}~{岩にしみ入}~推敲にて~
『奥の細道』本文には~
「佳景寂寞として心すみゆくのみおぼゆ」
と言ったのでしょうね!
平泉中尊寺に詣でた時の{光堂(金色堂)}
{五月雨の降のこしてや光堂}
蛍火の昼は消えつつ柱かな
五月雨や年ゝ降りも五百たび
五月雨の降のこしてや光堂
{随行日記}--曾良によれば日は{天気朗}
芭蕉は{五月雨}を降らし{鮮やかな光堂}となり
余にも名句として残っているのでしょうね!
天平勝宝四年に実忠和尚が始められ
幾多の辛酸を潜り抜け~1250年以上に
渡り連綿と続けられて~十一人の練行衆
本尊の十一面観音に自らと人々の罪を
懺悔して幸せを祈り
1261回目東大寺ニ月堂{修二会}
十一面観音に罪汚れを懴悔~世の平穏を祈る
毎夜午後8時頃から営まれる初夜の
法要では世界平和を始め~明治以来の
観測史上国内最大とも言われている
巨大地震「東北地方 太平洋沖地震」
外国の地で起きた民衆蜂起~万民の
病気平癒の祈りに加え---経済危機からの
病気平癒の祈りに加え---経済危機からの
脱却を祈り~諷誦文・祈願文が毎夜
読み上げられていました~
1250年以上に渡り連綿と続けられて来た
{1261回目の東大寺.二月堂.修二会}
{達陀の行}(12日-14日)~炎の力で邪悪を払い
燃え盛る松明を持った火天役が内陣に~
水天役と向き合い~飛び跳ねる仕草を
繰り返した後~松明が礼堂に投げ出され
3月15日未明に満行を迎えましたね!
満行を迎えた 3月15日の朝
{八天役の練行衆}が金襴の{達陀帽}を
子供さんに被せると元気.溌溂に育つと
言われている{達陀帽授け}が催され
大勢の家族連れで賑っていました
{閼伽井屋の井戸}~{二月堂 香水}
{若狭国}の{遠敷明神}が魚釣りに熱中
二月堂に遅参~お詫びに井戸を湧き
出させたと言われている{水取り}の儀式
十三日未明~真冬の寒さが戻った様な
寒気の中で~二月堂下にある
{閼伽井屋の井戸}から水をくみ上げ
三回に分けて二月堂に運ばれる
くみ上げは秘儀とされており~練行衆が
入り口を警護~水を入れた桶は松明を
{道明かり}に二月堂へと運ばれます
汲み上げられた{香水}は参拝者にも
授与され~以前 小生も{二月堂 香水}を
頂いたことが有り 本当に有難う
御座いました
神に近い子~{中灯 童子 敏 丸}
《東大寺 二月堂大欄干》 聖域に入る
ことを許された神に近い子《童子》
一昨年迄は{中灯 童子 敏丸} として
大松明を持つ{童子}を務められたのが
生駒の小生宅の近所にお住まいの
門谷敏也さんです
今年は御事情により御休息となりましたが-
{中灯さん~行きまぁ~すぅ}あの元気な声が
聞かれず~東大寺二月堂大欄干で乱舞した
勇壮な炎{籠松明}を持たれた門谷敏也さん
今年は御家庭の御事情で~あの時の雄姿が
観られないのが~残念な限りです
童子は 聖域に入ることを許された
神に近い子の資格を持った人達であり
《練行衆》に 其々一人ずつ付かれ
門谷さんは 二月堂・大宿所で
大松明の作成や食事等 練行衆の
御世話で昼夜を問わず多忙を
極められていました
門谷敏也さん宅の門前に{今年も}ある--
二月堂大欄干--勇壮な炎が闇夜に乱舞した
「籠松明」 《無病息災》を齎して頂く
大松明(8M)・重さは 80キロと言われる~
満行を迎えた『籠松明』を身近に眺め
手に触れる事が出来ました
あの日の感動が蘇えり~本当に有難う
御座いました
大和路.各地では 震災一周忌法要 や
僧侶による書作展~{心の復興}へ
「東日本大震災犠牲者供養写経」等が
催されています
薬師寺本尊の薬師如来坐像で慰霊と復興を
祈る 薬師寺山田法胤管主は法要を営み
{今後は物資の支援だけでは無く心の支援を
考えたい}と発案され 心の復興へ被災者にも
写経して戴く「東日本大震災犠牲者供養写経」
また 河野良文.大安寺貫主ら奈良の僧侶
32人が個性的な作品による{書作展}を開催
収益は 震災の義援金に充てられます
{諷誦文}~震災で亡くなった人々を慰霊~読経
被災地の一日も早い復興を祈っていましたね!
平城宮跡の大極殿前広場では震災の犠牲者への
鎮魂・復興を祈念する{3・11復興の灯}があり
壱萬個の蝋燭を点灯~{絆} の文字が浮かび
平城宮跡に集まった800人以上の人々が
真冬の寒さが戻った大極殿前で祈りを
捧げていました
走る 火影 揺れる あふれる涙 燃える
燃える 燃える 松明 「修二会」
《春寒の弥生三月春まだき
君の肩にはらり 良弁椿
ここは東大寺 足早にゆく人垣の
誰となく独白く南無観世音
折から名残り雪
君の手は既に 凍り尽くして居り
その心 ゆらり 他所にあり
もはや二月堂 天も焦げよと松明の
炎見上げつつ何故君は泣く 雪のように
火の粉が降る~~~》「修二会」
{さだまさし 作詞・作曲}
空気が澄み 夜空の星が鮮やかな頃
地域の皆さんに呼び掛けて実施した
{ふれあい 健やか PATROL 夜回り}
安全で安心して暮らせる 私達の街に
《絆》《ふれあい》《助け合い》を
分かち合いを目指し邁進!
《絆》の大切さ!お互いに共有し
{声かけ}や独居老人の見守り活動
{向こう三軒両隣 挨拶運動}も
実践しています
小生 地域の{自主防災組織}の一員として
緊急避難・救急.救命・給水.給食等々
各種の訓練を実施致していますが
天変地異の脅威・自然災害に対して
私達はあまりにも無力であると事を
痛感致します
東日本大震災~1年が経過致しましたが
被災地では現在でも復興に向けた必死の
努力が続き~全国からも支援の手が
差し伸べられていますが政府の復興策は
まだ方向性が見えていませんね!
特に福島第一原発避難.風評被害.瓦礫の
処理等々には多くの不安が残されままで
心が痛む課題が山積しています
{自然を克服する西洋文明}とは異なった
《日本列島》の大自然~今後は天変地異
自然災害に対峙する『防 災』では無く
近未来型の『減 災』体制の早急な構築
{阪神淡路大震災}の教訓を生かし乍も
想定される 東海.東南海.南海.首都圏直下型
巨大地震~やはり{自助・共助.公助}が互いに
連携~その為には地域の『減災』体制が
不可欠{ふれあい 助け合い}必要です
東北の方々が心から皆で笑って暮らせる
《春の日》の一日も早い事を!
東日本の 復興を願って已みません
{ひとつになろう日本} {頑張ろう! 日本}
{Solidarity with Japan日本と団結を!}
東大寺 二月堂の舞台に突き出された
長さが約8メートル 重さは60~70キロ
乱舞する籠松明~大和路の春を呼ぶ{炎}
{失われた20年}に追いうちを駆けるが
如き{貞観の大津波(869年)} 以来の大震災
明治維新・大東亜戦争 戦後復興に続き-
{Solidarity with Japan日本と団結を!}
世界中からの温かい支援の言葉にも
癒されます
我々は必ずや{三度目の奇跡}」を信じ
{オールJAPAN}で 叡智を結集
{日本列島の陽春}を迎えるべく精進
努力.推進して往きたいものです
ちりぬれば 匂ひばかりを 梅の花
ありとや袖に 春風の吹く
千利 連八 尓保 比者可 越 里 二 能
藤原 有家(新古今)