ダムの建設で村の中心部の殆どが
湖の底に沈む {五木村}~{川辺川ダム}
建設による住民の村外流出
日本一の清流の消滅という {五木村}
湖の底に沈む {五木村}~{川辺川ダム}
建設による住民の村外流出
日本一の清流の消滅という {五木村}
哀愁を帯びた{五木の子守唄}には
もうひとつの{五木の子守唄}が
伝承されているそうですね!
それは『正調五木の子守唄』と言われるものです
一般に流布している「五木の子守唄」は
昭和25年(1950年)古関裕而 作曲-- 熊本.人吉地方で
唄われていた 民謡を採譜.編曲~哀愁を帯びた
{五木の子守唄}は 音丸・照菊が歌って大ヒット!
その後も 多くの人々に愛唱されてきましたね!
{球磨川}の支流へは 一昨年の秋 海が鳴く.うにが咲く
大海原の醍醐味を味わいたく {磯の黄金弁当}を買求め
九州縦断の旅をした時
熊本.人吉地方と共に 訪問
今でも忘れられないのは あの{哀愁を帯びた}
『正調五木の子守唄』です
小生 {九州縦断}の旅 当時 ブログに~《敬天愛人》
天を敬い人を愛する《天命への自覚》(2010 10.16)
綴ってみた事がありますが~あの哀愁.感銘を改めて
記憶に残したいと思い~この 『花は何の花つんつん椿
水は天からもらい水~{敬天愛人}PART Ⅱ』にて
書いてみました
水は天からもらい水~{敬天愛人}PART Ⅱ』にて
書いてみました
昭和5年(1930年人吉の小学校の教師
辺隆太郎さんが
この地方の民謡を採取・採譜して球磨民謡集を 編纂
その中に旋律も拍子も違う2つの五木の子守唄が
載っているそうです
{正調五木の子守唄}と古関裕而 作曲{五木の子守唄}の
大きく違うところは--2拍子と3拍子-{正調五木の子守唄}は
2拍子~古関裕而 作曲「五木の子守唄」3拍子~つまり
1つは五木地方の子守唄--2拍子--もうひとつは
五木四浦地方(現相良村・四浦)の子守唄は3拍子と
されていますね!
五木四浦地方の子守唄は 人吉地方でも流布
球磨川下りで有名な
人吉は 九州の小京都-国宝
青井阿蘇神社や幽霊寺とも言われる 永国寺等々
古い城下町ですね!
♪おどま親なし七つん年でひとの守り子で苦労する
おどまいやいや泣く子の守りにゃ泣くといわれて
憎まれる つらいもんばい他人の飯は煮えちゃ
おれどものどこさぐ♪
♪おどんが打死{うちん}だちゅうて誰{だる}が
泣(に)ゃてくりゃか 裏の松山 せみが鳴く
せみじゃござらぬ妹でござる妹泣くなよ気にかかる
おどんが打っ死ん{うっちん}だら道ばた生けろ
通る人ごち 花あぐる♪
♪花は何の花 つんつん椿 水は天からもらい水
つらいもんばい他人のままは煮えちゃおれど
ものどこさぐ ねんえした子の可愛さむぞさ
起きて泣く子の面憎さ おどんがお父っぁんな
山から山へ里の祭りにゃ縁がない♪
敬 天 愛 人
<松口月城>
英雄遠く去って再び出でず城山の嶺上月一輪
敬愛二字意正純 想見南洲斯精神
至誠一貫如聖哲 氣宇崇高惟達人
尊皇愛國碎肝膽 完成明治大維新
英雄遠去不再出 城山嶺上月一輪
(敬天愛人
<松口月城>)
♪起きて泣く子の面憎さ おどんがお父っぁんな
山から山へ里の祭りにゃ縁がない♪
♪花は何の花 つんつん椿 水は天からもらい水♪
♪おどんが打死だちゅうて誰が泣ゃてくりゃか
裏の松山蝉が鳴く~♪
人を相手にせず
天を相手にして おのれを尽くして
人を咎めず我が誠の足らざるを尋ぬべし《 西郷 隆盛》
人を咎めず我が誠の足らざるを尋ぬべし《 西郷 隆盛》
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