『いざ子ども 山べにゆかむ 桜見に
明日ともいはば 散りもこそせめ』 (良寛)
『大和また 新たなる国 田を鋤けば』(山口誓子)
宣言したのが去年と比べて11日遅い 3月31日でしたね!
東京 靖国神社.標本木の桜(ソメイヨシノ)が開花去年より15日遅い開花(3月29日)
大阪城公園 西の丸庭園の標本木 開花(3月31日)
令和6年の桜の開花.多くの地域で予想より遅れ3月下旬に予想を見直し開花時期を後ろに
温暖化が 背景にあると みられ極端な気象に(桜の花)も 翻弄されているようですね!
(第63回お城まつり(史跡郡山城跡) (城下町一帯)で開催されています. ⇒ ソメイヨシノ.
山桜.しだれ桜 八重桜など約600本の 桜の宴!
ライトアップ.びボンボリ点灯は18時~21時迄.3月24日奉告祭.数珠くり法要.女王卑弥呼
交代式 3月31日 .出陣式.時代行列.白狐渡御等
4月7日 お城まつりコンサート等々が開催されます.
[数珠くり法要]は 石垣の中にある 石仏や城史有縁の諸霊を慰めた様です. 当初5月5日の
子供の日に実施.~明治40年(1907)から 桜が見ごろを迎える時期に行われていた
(金魚品評会)に合わせて催されています.
大和郡山城の桜は 天正13年(1585)に 豊臣秀吉が談山神社を多武峰から郡山城下に
移した際に一緒に移したのが 起源とも言われています.
*談山神社は天正18年(1590)に戻りました.
天正8年(1580)(筒井順慶)が築城し大和.和泉.紀伊三ヶ国・百万石の太守として
(豊臣秀長)が大和(郡山城)に 入城したのが⇒天正13年(1585)
享保9年(1724)柳澤吉里が甲府より郡山に国替え入城し 桜樹を補植し.以来毎年
春の開花期には藩士.町民達の楽しみであったと伝えられています
明治となり城郭が全て取り払われたが旧藩士が明治13年(1880)本丸に 藩祖.柳澤吉保を
祀る(柳澤神社)を建て周辺に旧藩邸の桜樹を移植し更に数百株を補植.毎年(かがり火)を
焚き(春宵一刻)を 楽しむ様になったそうです
(追手門)が豊臣秀長.築城に 相応しい姿で復原!郡山城跡の櫓には満開の(枝垂れ桜)が近鉄電車の
車窓からの眺めも心を和ませて呉れています
筒井順慶.豊臣秀長.柳沢吉保.所縁の大和郡山城跡ソメイヨシノ. 山桜. しだれ桜. 八重桜等800本
(日本さくら名所100選)~山口誓子.森川許六の句碑の基で(桜花)を愛で散策するのも如何が~
『大和また 新たなる国 田を鋤けば』 (山口誓子)
『菜の花の 中に城あり 郡山』 (森川許六)
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