(COVID-19[新型コロナウイルス感染症]による制限が無く令和5年は街の賑わいが戻った様
原材料価格の高騰等.値上げが相次ぎ暮らしが良くなるのか見通せず~元日に発生した
能登半島(M7.6)地震等々.気候変動による災害の不安も増し 国際情勢は
一層不安定な昨今ですね!
令和5年から6年へ平和への希望を紡ぐ「希望を紡ぐ 明日への歩み」 (NHK)
「ゆく年くる年」(神田明神)を キーステーションに大河ドラマ「光る君へ」
紫式部所縁の寺とされる 滋賀県大津市[石山寺] ドライバーの 人手不足など物流業界の
[2024年問題] 京浜トラックターミナルからも 放映されましたね!
(除夜の鐘)は 108個ある煩悩を鐘が一つ鳴る毎に[貪欲] [瞋恚] [愚痴](三毒の煩悩)を消し
令和6年は 幸せな一年を過ごしたいという願いが込められている様ですね!
緊急入院した病床で (ゆく年くる年)で放映される 各地の(梵鐘)を 安らかに
聴き入っていた次第です.
(道祖王) 《萬葉 巻19》 (丑年正月於治部少輔石上朝臣宅嗣家宴)
『そらみつ 大和の國は 神からか ありがほし 國からか住みがほしき
ありがほしき国は あきつしま大和』琴歌譜 正月元日慶歌)
*例年(令和5年)なら 健やかに参った『元朝詣』が走馬燈の如く甦って来ました
春日大社の神事(初太鼓.歳旦祭)一番太鼓に御参りが出来ませんでしたが 武甕槌命が
白鹿に遣って来られたとされる[春日大社]の 元朝詣から 始まりました!
『二拝 二拍手 一拝』 《春日大社》
(平城京の守護)の為に創建された御社とされており和銅3年(710)藤原不比等が
平城遷都の際 藤原氏の氏神を祀ったのが起こり(神護景雲2年)今の地に社殿を造営
興福寺と同様 藤原氏が勢力を伸ばすにつれ 社殿の造営が行われ 平安後期には
現在のような規模を整えられました
本殿向って{右}--第一殿 茨城 鹿島神宮から 迎えられた武甕槌命{タケミカヅチのミコト}
第二殿 千葉 香取神宮から迎えられた経津主命
第三殿 天児屋根命{アメノコヤネのミコト}と 第四殿 (比売神)は 枚岡神社から
(春日の地)に 迎えて 祀られています
奈良時代の神護景雲二年(768) 現在地に四所の神殿が創設されたのが始まりとされ
境内に含まれる主なものは標高295m御蓋山全域の山林部と社頭から西方 飛火野.
雪消の沢一帯の芝原(春日.若宮 おん祭)の御旅所から一の鳥居に至る
参道の地帯を含む平野部です
春日大社---「福の神12社」
第1番社 若宮神社
正しい智恵をくださる神様
第2番社 三輪神社
子孫繁栄.子供の無事成長-神様
第3番社 兵主神社
延命長寿を守ってくれる神様
第4番社 南宮神社
金運を守ってくれる神様
第5番社 広瀬神社
衣食住を守る神様・御稲荷様
第6番社 葛城神社
心願成就の 神様
第7番社 三十八所社
正しい勇気と力をくださる神様
第8番社 佐良気神社
商売繁盛を守る恵比寿様
第9番社 宗像神社
諸芸発達を守る神様・弁天様
第10番社
紀伊神社 万物の正気 命の根源を守る神様
第11番社
金龍神社 開運財運を守ってくれる神様
第12番社 夫婦大國社 夫婦円満 良縁 福運守護の神様
『 山めぐる大和国原 日の始』 (岡本艶女) 『松 苗』
『石上 布留の神杉 神さびし 恋をもあれは 更にするかも』
柿本人麿歌集 (萬葉 巻11 2417)
石上布留社は 古代の山辺郡 石上郷に属する布留山の西北麓に鎮座し(布都御魂大神)は
神体である{布都御魂剣に宿る神霊}とされ布都斯魂大神 宇摩志麻治命 五十瓊敷命
白河天皇 市川臣を 配祀されています
市川臣は 孝昭天皇の皇子.天足彦国押人命の後裔で 当社社家の祖ですね!
『古事記』『日本書紀』に既に(石上神宮) 石上振神宮との記述が有り古代軍事氏族である
物部氏が祭祀し.ヤマト政権の武器庫としての役割も果たしてきたと考えられています
社伝によれば(布都御魂剣)は 武甕槌.経津主 二神による葦原中国平定の際に使われた剣で
神武東征で熊野において神武天皇が危機に陥った時に 天津神から高倉下の手を通して
天皇の元に渡りその後 物部氏によって宮中で祀られていたが崇神天皇7年勅命~物部氏の
伊香色雄命が現在地に遷し(石上大神)として祀ったのが当社の創建とされています
また(禁足地)は今もなお『布留社』と刻まれた 剣先状石瑞垣で囲まれています
『斎串立て 神酒据ゑ奉る 神主部の 髻華の玉影 見れば羨しも』
( 萬葉巻 第十三 弐) 五十串立 神酒座奉神主部之雲 聚玉蔭見者乏文
若草山山焼き 奈良礼讃大花火 (令和6年)
明治33年から続く伝統行事・古都の炎の祭典!古都奈良の新年を飾る炎の祭礼
「若草山焼き」今年は1月27日(土曜日)に行われました
小生が奈良.春日野を闊歩していた奈良商業時代には (若草山焼き)は 例年1月15日
(成人の日)と決まっていましたが新成人の日の変更に伴い1月の第4土曜日に
開催されるようになり 2024年は1月22日(土)が 開催日となりました
奈良全体の防災と世界の人々の平安を祈り~600発もの打ち上げ花火一斉に
火がつけられ燃え盛る炎は冬の澄んだ夜空を赤く染め山を覆う炎が壮観な
伝統行事 (若草山焼き)
春日大社境内の飛火野で(大とんど) 5m四方の火炉に持ち込まれた 縁起物が高く積まれ
神主が祝詞を奏上して火炉に点火され大祓詞を奏上されました(若草山焼き 御神火奉戴祭)
「1年間健康に過ごせたことを感謝しました」参拝された多くの方々の御気持ちでしょう!
(大とんど)から点火された「ご神火」は若草山の山焼きの火種になり(若草山焼き行事
実行委員会)の方々が火炉から採火し若草山へ運ばれています
春日大社の摂社・水谷神社の能舞台近くに設けた松明点火場の松明に 御神火が点火され
若草山の山麓に祀られている 野上神社のかがり火に若草山焼きの種火になる御神火を
点火.無事を祈願~東大寺・興福寺の僧侶による読経中に.かがり火から松明に火を
移した後 若草山の山麓中央に設けた大かがり火に点火されます
若草山焼きの点火直前に行われる花火打ち上げ山焼きの山焼きの前に約600発の花火が~
6時30分に約33ヘクタール.周囲3800mの若草山の草地で.奈良市消防団員約300人が
松明を持ち.法螺貝やラッパの合図で一斉に草地に点火されました.
『 きれいに燃えれば 景気も 良くなる』 山焼きを見ると一年が始まったという気持ちになる
地元の人々の中に こんな声も聞かれましたが 奈良全体の防災. 世界の人々との
平安を祈願ですね!
古都の夜空を彩る若草山焼きは明治33年から伝統行事として定着しています
皆さん方も萬葉のロマンを感じ乍らこの様な (若草山の山焼き)起源の
一考も如何でしょうか!
先人の鎮魂・慰霊~大和路から世界の人々へ悠久.平安を祈る伝統行事ですね!
題しらず 読人知らず (古今和歌集 巻壱)
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