2008/01/18

{え~ あんばい}  PART Ⅴ 奈良 福住 光明苑








って
やはった!
 かった!
 かった!

同一  ユニットで入居されている
御婆ちゃん方の 驚歓 溢れる
ケアワーカー・管理栄養士・看護師さん達にも
熱い拍手で 迎えて頂きました

入院退院を繰返し 御迷惑をお掛けし乍
恰も御自分の母親の様に接し
手厚い看護をして頂いている
主治医の中村・寺田先生を始め 病棟の看護師長や
優しい看護師さん達に見送られ 
よろづ相談所病院憩の家)を無事 退院
一昨年(平成18年)8月より御世話になっています
奈良福住 光明苑へ 実母が戻ることが出来ました
(昨年 十二月十一日)


憩の家)で 栄養摂取 
腸に直接管を入れる「腸瘻」処置をとって頂き
福住 光明苑から迎えに来て頂いた 介護担当の方や
看護師さんに抱えられ乍も
心温まる熱い拍手で 皆様えて頂き
小生も 涙腺が緩む思いで一杯でした
   本当に有難う御座います



{え~ あんばい

奈良県 福住 光明苑で 発行されている
心温まる 広報誌 です
(*大和言葉で言う 丁度ええ!ええ感じや!です)

☆やさしい につつまれて
    るく 福(ゆたか)に住(くら)していただく
       (ところ)・・





池田施設長
より頂いたのが
{え~
あんばい
第7号(平成20年1月発行)です

しめ飾り】で お正月の雰囲気が充ち溢れ 
また{さくら通り}で催された「Bar」で
ある御爺さんが「五臓六腑に 沁みるね!
アルコール抜きやけえど」の御言葉に
御婆ちゃんが「私を酔わす気やろ・・」
「ははは・・」と
ユーモアたっぷりに答えられる
「ソファのマダム」「誰がや わてか?」~~
洒落麗人振りをふりまく様子

また4F 誕生日会では 
「いつまでも 御元気でいらして下さい!」
写真コーナーでは皆さんの{笑顔 笑顔}の
スナップ写真で テンコ盛りです

【おふくろの味】ならぬ 【福住光明苑の味】では
「おいしかったよ~」「もう一度食べたいわ~」
めの言葉と同時に 
食後感想残食量等の きめ細かいチェック

体験利用も可能な ディサービスの案内や 
当苑へのご意見・苦情等々の紹介で
{え~ あんばい}は充実した誌面になっています

相談課のSさんが {私の思い}で
この様に言われていました
ショートスティは「短期入所サービス」とも言われ 
原則的には 一週間をイメージした制度です
介護する御家族の休養や 冠婚葬祭等で お泊りで
預かりするというのが趣旨です

ところが 現状は ホーム入所に踏み込めない~~
かといって24時間 自宅介護するのは
かなりの負担で難しい方や 要介護状態になったが
子供や身寄りのない方で 施設入所は嫌がる方の
一時的緊急避難の宿泊施設となっている部分も
あります

小生もこんな実情を思うと 深刻に考えさせられる
言葉だと痛感いたします

相談課のSさんは その為にも
ユニットケアならではの
在宅生活を意識した サービスの提供をしていく
施設であり続けたく思っています
介護の現場で 日々学びながら 
より質の高いケアを提供していきたい!
~~~と {私の思い}で 結ばれています 



花水木の郷で
介護
担当し
{え~ あんばい}の編集もされ
多忙な
毎日を過ご
されている
Kさんは
「いろいろあって長い一年だった」と言うよりも
「いろいろあって 楽しい一年だった」と~~
利用者の皆さんに思って頂ければ有難い!
本年(今後)も 御利用者様方の生活の様子を
お伝え出来るよう
この{え~ あんばい}を作成して参ります~~と
この様に 編集後記で述べておられます

新年も超御多忙な毎日だと思いますが
 今後とも何卒宜しく 御願い致します

 多謝! 多謝!

 萬 國 春 風 百 花 舞
   「 」 正月
   乾 杯






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2008/01/01

08 弥栄  無垢な注連縄 「戊子」歳旦  慶歌



そらみつ大和
からか
ありがほしき 國からか 
住みがほしき
ありがほしき
国はあきつしま大和

琴歌譜 正月元日慶歌

戊子元朝-----萬物
陽気 生命力が甦えり 
繁殖力が発動し始め
」 は 神様のお召しに応じて
一番に駆つけた功で十二支のトップ
また鼠は 農業神として七福神の一神とされ
大黒天の福をもたらす神使
鼠算的な子孫繁栄の象徴でもあるとされていますね!

去年今年 貫く棒の ごときもの  高浜 虚子

除日 生駒聖天 鐘楼の余韻が として
寓居にも響いて来ました

元朝に「08 飛躍~~
大きな躍るロマン」を求め
現世御利益・商売繁盛祈願に
大聖歓喜天尊」(秘仏)を訪れた
多くの善男善女も この無垢な 注連縄
として くぐられたことでしょう

歓喜天が守護神の 
宝山寺・生駒聖天
「大空の中に
に乗れる者あり 
かたち唐人に似たり
青き油笠を着て
葛城の嶺より
馳せて胆駒山
(いこまやま)に隠る
午の時にいたりて
住吉の松のいただきの上より西に向い馳せ去りぬ」~
日本書記』にも記述がみられます

また生駒山
古くから神霊
宿る山として
崇められてきました
役小角 空海
修行の地との
伝承があります 
今も山中に
瀧場として
霊場が点在しています


真言律宗 正式名は
都史陀山大聖無動寺
延宝六(1678)年
宝山湛海の開山 
本尊は不動明王ですが 
聖天さんと呼ばれる 大聖歓喜自在天への
信仰が強いとされています


小生の 元朝詣の定番は 
春日神と総称され武甕槌命
白鹿に乗ってやってきたとされる 春日大社

二拝 二拍手 一拝

平城京守護の為に
創建された御社と
されており
和銅3年(710)藤原不比等が平城遷都の際
藤原氏の氏神を
祀ったのが起こり
神護景雲2年(768)
今の地に社殿を造営
興福寺と同様
藤原氏が勢力を
伸ばすにつれ
社殿の造営が行われ 
平安後期には
現在のような規模を整えられました

本殿向って右(東)から
第一殿 茨城県の鹿島神宮から迎えられた武甕槌命
第二殿 香取神宮から迎えられた経津主命
第三殿 天児屋根命(アメノコヤネのミコト)と
第四殿 比売神(ヒメガミ)は
大阪府枚岡(ひらおか)神社から それぞれ
春日の地に迎えて祀られ
奈良時代の神護景雲二年(768)
現在地に四所の神殿が創設されたのが
始りとされています
境内に含まれる主なものは 標高295mの
御蓋山全域の山林部と社頭から西方
飛火野、雪消の沢一帯の芝原
若宮おん祭の御旅所(おたびしょ)から
一の鳥居に至る参道の地帯を含むあたりが
平野部とされています


山めぐる 大和国原 日の初   岡本 艶女 『松苗』

新春を賀し 佳き年を迎えられた
皆様の 御多幸を
御祈り申し上げます
   「 」 元 朝




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2007/12/03

生駒聖天 厄除 大根焚き   師走 一日



大空の中に
龍に
乗れる者あり
かたち
唐人に似たり
青き油笠を
着て
葛城の嶺より馳せて胆駒山(いこまやま)に隠る

午の時にいたりて住吉の松のいただきの上より
西に向い馳せ去りぬ」
~(日本書記) 中大兄皇子の母皇極天皇が
斉明天皇として再び 即位された年(六五五)の
記録にもあり~~

悠久の時代から 生駒山神霊の宿るとして
崇められてきました


生駒聖天の好物である 大根かれ
厄除けも兼ねて 参拝者に振る舞われる
師走一日(12.1)  

現世利益」の 宝山寺は商売繁盛等にも
御利益が有ると言われ 全国各地から 
信仰心の厚い多数の参詣者が集まって来られます

巨額マネーが動くとさえ言われています
防衛利権 欲望の深穴に
落ちたとも言われる 守屋武昌(前防衛事務次官)が
収賄等の疑いで 夫婦共に逮捕されたのは
記憶に新しいが 彼らにこそ 食して
いただきたいもの!~~と言ったら
聖天さんのお叱りを受けるかもしれませんね!

防衛官僚トップの堕落と腐敗の追及は勿論のこと
この国の将来をも担うとされる 武器調達の
実態も露呈し 巨悪の全貌を 視野に入れた
解明等 徹底した捜査をされることを 期待して切 !





また 生駒山は 
今も山中にお瀧場として
霊場
弘法大師以後 般若窟
生駒山中の
霊場の中心なり 寛平年間に 生駒仙という者がいて
菩提を求めて行をしたとされています

延宝六年(一六七八)十月十日に
中興開山 湛海律師が入山された当時
その頃の山は 鬼や化け物などの妖怪が住み着いて
人々を脅すので 村人も 午後四時を過ぎると
山には入りませんでしたが~~~
庄屋さんはこれは般若の岩屋の罰を受けているからで
あろうと 山を治めてくれる行者を探し求め 
不動尊の行者として 名が知れ渡っていた
湛海に白羽の矢をたてたそうです
庄屋の話を伝え聞くや 湛海は二つ返事で
生駒へ移ることを決心
庄屋を道案内として山に入られました

入山第一日目散らばった石を取り片付け
座禅が出来るほどの土地を整理して
夜露が掛からない様に菰を張りって
瞑想していると のなかに
財天女がお出ましになり 
天女は手桶を持って水をお汲みになり 
湛海を接待なさろうとされるご様子で
何なりとも仰せの様に致しましょうと申されました

それから三四日経った夜のこと
髪の毛が針のように尖り 肌はごつごつとした
岩のような大きな夜叉が組付いてきて
「ここは俺が住んでいる所だ、早く立ち去れ」と
湛海を圧し潰そうとしましたが
和尚は少しも慌てず 一心に不動明王の
ご真言を唱えると 夜叉も後をも振り向かずに
北の方へ逃げて行ったと伝えられています


本尊不動明王坐像
八万枚の護摩供を終えられた湛海はその年の
秋 八月に 本尊不動明王坐像を刻まれました
和尚は僧侶としての修練を積まれながら 多くの仏像を刻まれ
仏画を描かれています 中でも不動明王を始めとする
忿怒像に関しては 江戸時代随一の技術と
評価されています
長い間の修行の上での仏像・仏画は
単なる仏師にはない鋭さを持ち 
拝する者に畏敬の念を起こさせます
特に元禄十四年(一七〇一)に彫刻された厨子入り
五大明王像
国の重要文化財に指定されています




昨年の師走十日
小生の Web log
{酒旨し師走に友と歌う~}には
下記の様に
書いたことが 懐かしく思い出します

師馳す」と言う説は
平安末期の「色葉字類抄(いろはじるいしょう)」に
しはす」の注として説明されています
また「師馳す」説は民間語源で 
「師走」の字が当てられ
「年が果てる」意味の 「年果つ(としはつ)」が
変化したり 「四季の果てる月」を意味する
「四極(しはつ)」からとする説
「一年の最後になし終える」意味の
「為果つ(しはつ)」からとする説などが
あるそうです

鯛焼屋濃く焼き師走の色といふ   林 翔

酒旨し師走に友と歌ふ時    大三



戊子の年頭
一の鳥居

飾る
注連縄


現世利益」を願い多くの参拝者を迎える
大鳥居
注連縄
十二月十六日の
奉納される日まで宝山寺の境内に
置かれています     多謝! 多謝!