倭は 国の まほろば たたなづく 青垣山 隠れる 倭し美し 命の 全けむ人は畳薦 平群の山の 熊白檮が 葉を 髻華に挿せ その子 愛しけやし 吾家の方よ 雲居起ち來も~ {大和 三山.大和 国中~遥か彼方に 二上山. 信貴. 生駒の山々~}
2008/03/18
童子による炎の瀧-----二月堂 欄干の「籠松明」
大和に春を呼ぶ~~
東大寺ニ月堂
(修二会)
(お水取り)
東大寺開眼の2ケ月前
つまり 752年
天平勝宝4年
2月1日
二月堂で修二の
悔過を修したとされるのが
「修二会」の始まりとされています
1250年以上に渡り連綿と
現在に至るまで続けられています
また 東大寺二月堂の修二会は
「二月を美しいものにする」と言う意味も
あるとされています
修二会は 大きく分けて
2月20日~28日までの「別火」と呼ばれている「前行」
3月1日-14日までの「本行」の前に
同じ火で煮炊きしたものを食べたり
同じ火にあたったりする聖なるものも俗なるものも
伝播するので 火を分けることを意味するとのことです
手向山八幡宮の宮司が練行衆の
別火坊入りや 参籠宿所入りに 先立って
台所・仏餉屋・浴室・湯屋のかまどの清祓を行い
火のまわりを清め若狭井や良弁杉に掛ける
注連縄に挿す幣を作られます
炎の瀧---二月堂欄干の
「籠松明」
眞竹の先に
杉枝を薄い松板で 籠の様にして包み 藤蔓で縛った
「籠松明」の重さは60キロ~70キロ
童子が肩に担いでゆっくりと石段を上り
天井に届くほどの炎に先導された
練行衆がニ月堂に上がって行かれる~
「おたいまつ」は 上堂する
練行衆の道明かりともなり
練行衆は十一人いますが 処世界という役の者は
先に上堂して掃除など 準備をしているので
おたいまつは十本となります
この大松明の作成は勿論のこと
練行衆のお世話をするのが
童子の役とされています
童子によって作られた大松明が修二会で焚かれ
二月堂の欄干から振り廻されると一斉に怒濤の
歓声が上がり 火の粉を被ると一年間無病息災だと
されています
{中灯 童子 敏丸}
昨年に引き続き 今年も
大松明を持つ
童子を務められたのが
生駒の小生宅の
御近所に お住まいの
門谷敏也さんです
童子は聖域に入ることを許された 神に近い子の
資格を持った人達であり
練行衆に 其々一人ずつ付かれます
柔道で鍛えられた屈強な体格ですが この日の為に
昨年から 野球バットの素振り等で体調を
調整されている姿を良く見かけたものです
門谷さんは 二月堂・大宿所で
司童子の下浦さんの指導のもと
大松明の作成や食事等 練行衆のお世話で
昼夜を問わず多忙を極められた様です
開口一番 に「粥を作ったり練行衆の食事等一部始終の
お世話をし乍も 大松明の作成は勿論のこと
切り詰めた睡眠時間の毎日でしたね!
随分痩せはりましたね?」と 問えば~~~
傍におられた奥様 「そうや! だいぶ痩せたね!(笑)」
火の粉を散らしながら 舞台を走り抜けられてから
間もないことも有り 火照った赤ら顔の 敏也さんに--
「更に逞しく成られましたね!」と言えば---
奥様曰く「元々顔が黒いんや!(笑)」と-----
二月堂で「修二の悔過」を修した誇りと 安堵感に
溢れた仲睦ましい門谷ファミリィーの御姿を
垣間見た様な気が致します
また道行く御近所の人々も かなり興味を持たれており
和服姿のご婦人は「二月堂さんの 欄干で
この{おたいまつ}を振り回さはったのやね!」---と
ご主人(門谷氏)に 声を掛けられる
「そうや!」---と門谷さんは気さくに答えられて
いましたが
門谷さんには
「火の粉を散らしながら
舞台を走り抜ける時は
あまり派手な演出は
控えて下さい」---と 言われたそうです
二月堂牛玉 圭誠房や 達陀袋を始め
当日使用された 大松明 (7M)等のスナップ写真を
撮影させて頂きました
二月堂大欄干---頭上の
「籠松明」(7M)
火の粉を見上げた
あの時の大松明を
身近に眺め
直接手に触れる事が出来ました
また あの日の感動が蘇えり~~~
本当に有難う御座いました
多謝! 多謝!
法華堂(三月堂)「北門」)芭蕉の句碑
「龍王之瀧」の前( 大仏殿の創建よりも古い
天平4年(733)
良弁僧正創建の「金鐘寺」の一堂である
法華堂(三月堂)「北門」)にある
芭蕉の句碑には---
水取りや 籠の僧の 沓の音
ところが松尾芭蕉が貞享元年 伊勢・伊賀・
大和・近江を巡った-----
「野ざらし紀行」の稿本・写本の中でも
芭蕉 直筆とされている 『天理本』には
[籠の僧]ではなく [氷の僧]となっているそうです
二月堂に籠りて(前書)
水取りや 氷の僧の 沓の音
(*小生 天理大学付属天理図書館は地元でもあり
高校生時代から良く利用させて頂いていますが
残念乍ら 未だ 芭蕉 直筆とされている
『天理本』
原本を拝読させて頂いていませんが~~)
俳壇の大御所によれば
「氷の僧だから名句だと言える!
籠の僧とすれば 駄句に過ぎない!」とのこと-----
水取りや 井をうちめぐる 僧の息 大江丸
(東大寺二月堂修二会の行事)
修二会の行事--概要は以下の様にされているそうです
(*は閏年の時、翌日)
12月16日 練行衆 交名発表
2月12日 新入(しんにゃう)習礼
2月18日 油量り
別火 2月20日~28日*
試別火 2月20日~25日*
2月20日 練行衆試別火入り
2月21日 内陣掃除 御輿 洗い 社参
試みの湯 注連撒き
結界の注連縄張り
2月23日 花ごしらえ
2月24日 上(じょう)七日壇供搗き
2月25日 社参-八幡殿 大仏殿など-暇乞い
総別火 2月26日*~28日*
貝吹き合わせ 声明稽古 衣の祝儀
香薫 大懺悔など
2月26日* 総別火入り 糊炊き
2月27日* 粟の飯 椿の花付け
2月28日* 参籠宿所入り 大中臣祓
本行 3月1日~14日 食作法
六時の行法-日中 日没 初夜 半夜 後夜 晨朝
大導師作法(神名帳)咒師作法
上 七日 3月1日~7日 本尊「大観音」
3月1日 授戒(じゅかい) 一徳火
開白(かいはく)法要
3月1日~4日 8日 籠松明作り
3月5日 大導師作法(過去帳)
3月5日~7日 走りの行法
3月7日 数取懺悔 小観音 出御 小観音後入
下 七日 3月8日~14日 本尊「小観音」
3月8日 授戒(じゅかい) 法華懺法
3月12日~14日 走りの行法 達陀
3月12日 大導師作法(過去帳)水取り
3月15日 お集会 開山堂参拝 達陀帽戴き解散
水取りや 瀬々のぬるみも 此日より 蓼太
東大寺ニ月堂の修二会
(お水取り)も終わり
大和路に春がやって来ました
http://gen-okamoto.at.webry.info/
http://blog.goo.ne.jp/gogogen2000
2008/03/13
三年目の春 {え~あんばい}PART Ⅵ
「あかりを
つけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花・・・」
微笑ましい入居者の方 自作の{卵雛}を表紙に~~
「今年四月で当苑も三年目に突入致します
これも皆様の御協力の賜物で御座います---
今年に入って 降雪の日が結構御座いました---
季節の変わり目というものは
何かと体調管理が難しい時期でありますが---
御身体には十分気を付けて下さい」と
池田施設長の巻頭の御挨拶が掲載された
{え~ あんばい}第8号 (平成20年3月発行)を
先日送付して頂きました
{え~ あんばい}は
奈良県 福住 光明苑で 発行されている
心温まる 広報誌 です
(*大和言葉で言う 丁度ええ! ええ感じや! です)
やさしい
光につつまれて
明るく 福(ゆたか)に住(くら)していただく
苑(ところ)・・
毎回 好評を得ておられる 夜長バーin咲山花
「シャバダ」って感じの二人・・・
(職)「お酒 御無沙汰ですね」
(利)「ちょっと怖いな あんたみたいに」
(職)「「どういう意味でしょうか?」
こんな ユーモラスな介護課の方と
利用者の方との談笑等が目に入ってきます
頭の体操~漢字編~では 小生も少し考えないと
正解が出てこない様な難問もあり---
さおりにお任せ!(福住 光明苑 看護師)では
~ヨシタケ爺さんからの質問~に対して
親切・丁寧に
便秘のない生活を心がけましょうネ~と
アドバイスされています
また栄養課の方は 皆様でワイワイと
おやつを作る日が来るのを
待ち遠しく思っています---
平成18年4月1日
開設された
ユニット型
ホーム
(福住 光明苑)
実母が お世話になっています
天理よろず相談所病院(憩の家)で 栄養摂取の為
腸に直接管を入れる「腸瘻」処置をとって頂き
定期的な通院の 頻度が多くなりましが
介護専門員・看護師の方に 親切に面倒をみて頂き
本当に有難う御座います
本人の 要介護認定は 5であり
昼夜を問わずに 奮闘努力をされ
ケア サービスをして頂く
ケア ワーカー・
看護師さんを始め 施設
職員の方々の 御苦労の大変さも
訪問する度に 痛感致しています
2008/03/08
天王寺で日本美術展覧会(日 展)
伝統の100年
進取の100年
日本美術展覧会
(日展)鑑賞の為
久しぶりの天王寺公園行でした
(大阪市立美術館)
日本画・西洋画・彫刻の3部制で始まり
昭和2年の第8回帝展からは 美術工芸分野を加え
昭和23年の第4回日展からは 書が参加し
総合美術展となりました
日本美術展覧会(日展)は 文部大臣牧野伸顕により
「我が国も公設の展覧会を開き文明国として
世界に誇れるような 芸術文化を
育成しようではないか---」と
上野恩賜公園にて
明治40年第1回文部省美術展覧会(文展)が開催
その後は 帝国美術院展覧会(帝展)
:1919年-1935年
文部省美術展覧会(新文展)
:1936年-1944年:1946年-
そして昭和33年からは 民間団体として
社団法人日展を設立して第1回日展を開催され
昭和44年に改組が行われて 今日に至っています
つまり文展を礎とし 時代の流れに沿って
「帝展」「新文展」「日展」と名称を変えながら
100年の歴史を刻んできたわけですね!
また 99年間にわたり東京上野の東京都美術館で開催
日展は100年目を迎える節目の年である2007年からは
東京・六本木に開館した 「国立新美術館」に
会場を移し 新たなスタートを切りました
小生等は 学生時代(東京在住)仲間達と
あの東京上野の東京都美術館で 朝から長時間に渡り
疲れを知らない様な雰囲気で 鑑賞した頃が
懐かしい思い出となりました
大阪市立美術館 では
平成20年2月23日(土)-平成20年3月23日(日)迄
開催され 合計599点の作品が 陳列されています
(日本画90点 洋画100点 彫刻53点
工芸美術70点 書286点)
また 1階美術ホールでは 日展出品作家による
作品解説(各部門別)も行われています
3月中旬以降の予定は以下の通りとされています
3月11日(火) 午後2時~ 書 江口大象(日展会員)
3月12日(水)午後2時~彫刻 九後稔(日展無鑑査)
3月13日(木)午後2時~洋画 池田清明(日展会員)
3月14日(金)午後2時~書 大河内仙嶽(日展会員)
3月18日(火)午後2時~彫刻 磯尾隆司(日展特選)
3月19日(水)午後2時~日本画 山下彰一日展会員)
3月21日(金)午後2時~工芸美術 永澤永信
小生も また機会があれば 再度 先生方の御高説を
拝聴致したいと思っています
日展公式サイトにて
内閣総理大臣賞を
受賞された
吉川蕉仙先生の作品
「蹇騰(勢い)」が
公表されています
(授賞理由)
王羲之書法に立脚し
それを乗り越えて
自らの生命感のある
書風を確立 造形的に
新鮮な現代の風が
紙面いっぱいに横溢する
重厚さの中に透明感があり爽やか
茶臼山
本邸庭園
(慶沢園)
日本美術展覧会(日展)を
鑑賞後には
大阪市立美術館に隣接し
早春に相応しく
凛とした 茶臼山本邸庭園を散策されるのも
一計かと思います
伏見宮貞愛親王の命名による慶沢園は
明治41年 木津聿斎の設計 小川治兵衛の作庭による
林泉回遊式 日本庭園で 大小3つの島が浮かぶ
池の周囲の林間には
全国各地から名石・名木等が
集められたそうです
大正10年に住友家から隣接する
茶臼山とともに大阪市に寄贈され
一般に公開されています
昨今は「大阪のええとこアンケート」でも
トップクラスで
わたしの大阪
ここが好き!~~~とされ
かなりの人気を評しています
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