ラインの城やアルペンの 谷間の氷雨なだれ雪~~
京都.嵐山花灯路-2009{嵯峨.嵐山}を散策
致したいものと 底冷えのする京都行きを決行!
先ずは 神楽ケ岡. 吉田山--「紅萌ゆる丘の花」
♪ ラインの城や
アルペンの
谷間の氷雨
なだれ雪
夕べは辿る
北溟の 日の影暗き冬の波
千載秋の水清く 銀漢空にさゆる時
通える夢は崑崙の 高嶺の此方ゴビの原
神楽ケ岡の初時雨 老樹の梢伝う時
檠燈かかげ口誦む 先哲至理の教にも
左手の書にうなずきつ 夕の風に吟ずれば
砕けて飛べる白雲の 空には高し如意ケ嶽 ♪
京都大学で頂いた《紅萌》---
巻頭対談~~
「自由の学風」の魅力を~~
河合隼雄さんが
尾池和夫京大総長と熱く語っておられましたね!
{心の中の京都大学}を始め興味深い数々の
記事に 悴む手で 読み耽ったものです
京都・嵐山花灯路-2009 {嵯峨・嵐山}
平成15年3月から~~
東山地域において{灯り}を
テーマとし---21世紀から~
京都の夜の新たな風物詩と
なることを目指し--『京都・花灯路』が始まり—
情緒豊かな陰影のある露地行灯--花により思わず
歩きたくなる路~華やぎのある路を演出され~
平成17年12月からは嵯峨.嵐山地域においても
催され~京都の新しい風物詩として歴史的な
文化遺産に露地 行灯も定着してきましたね!
《舞妓さんと写そ!中の島公園》もあり~2,600基の「灯り」と
いけばな作品の「花」
総延長約5kmの
散策路が演出され野宮神社から大河内山荘に至る竹林の
小径の両側--渡月橋周辺などがライトアップされ--
大覚寺.周辺の社寺で特別拝観が行われていました
承和年間(834-48)に僧道昌が架けたと言われる
底冷えのする 渡月橋{嵯峨 嵐山}は 散策する方々で
かなりの賑わいでした
来年は 《(京都・東山花灯路-2010》
大学の街 芸術系大学 短期大学の学生による
ユニークな灯りの創作作品-地元の学童が 火の用心を
テーマにしたわらべ歌とお囃子を奏でながら
練り歩き--{幽玄の川}円山公園内のせせらぎ--
ほのかな灯りで想的な情景を演出等々楽しみな
催しが3/13~22(2010)が予定されています
師走の京洛
「法然共生」~知恩院 梵鐘の響き!
日本三大梵鐘と言われている
東山・知恩院の除夜の鐘の
試し撞きが行われたのが昨日12月27日~~歳末の京の街に
梵鐘が響きわたり~浄土宗・法然上人~~乱世の時代に
苦しむ衆生を救う為めに生きられた-「法然共生」---
「共生」には 法然上人の「人に感謝し救う」生き方を
世に広めたいと言うメッセージがあるのでしょうか—
除夜の鐘を聞きながら現代の「幸せ」の意味を考えて
みたいとも思います (一部 【凡語】より)
小藪から小藪がくれやせつき候 一茶 {九番目記}
煤じまひ沼夕栄の蔵の戸に 河東碧梧桐
旅寝してみしやうき世の煤はらひ 芭蕉 {笈の小文}
♪ 紅萌ゆる丘の花 早緑匂う岸の色
都の花に嘯けば 月こそかかれ吉田山
希望は照れり東海の み富士の裾の山桜
歴史を誇る二千載 神武の子等が立てる今 ♪
「紅萌ゆる丘の花(三高逍遥の歌)」
澤村胡作夷 作曲 (明治37年)
去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子
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倭は 国の まほろば たたなづく 青垣山 隠れる 倭し美し 命の 全けむ人は畳薦 平群の山の 熊白檮が 葉を 髻華に挿せ その子 愛しけやし 吾家の方よ 雲居起ち來も~ {大和 三山.大和 国中~遥か彼方に 二上山. 信貴. 生駒の山々~}
2009/12/28
2009/12/01
宝山寺 生駒聖天さんの 厄除 大根炊き
冬銀河到来~生駒聖天 厄除 大根焚き(師走一日)
釈尊が 菩提樹のもとで 瞑想され--悟りを開かれた日に
営まれているとも言われる-京都.上京区千本釈迦堂の
≪諸病除け≫の大根炊きは7日~8日が予定されており
大鍋で炊かれた大根を食べると諸病除けになる--とも
言われておりますね!
棒鱈の ねぢれ師走の 錦市 森ひろ (馬醉木)
燃ゆる胸秘めて師走の岳目指す 徳田正樹 (河鹿 )
ヘリオスの子の弾け飛ぶ師走かな 山田富朗 (遠嶺 )
小春日和の様な今朝(12/1)---師走突入!
生駒聖天の
好物である大根が 炊かれ
厄除けも兼ねて 参拝者に振る舞われる 師走一日
「現世利益」の
宝山寺は
商売繁盛等にも
御利益が有ると
言われ~全国各地から今年も
信仰心の厚い 多数の参詣者が集い--
談笑を交えながら湯気溢れる
大根炊きを楽しんで居られました
「大空の中に 龍に乗れる者あり かたち唐人に似たり
青き油笠を着て葛城の嶺より馳せて
胆駒山に隠る
午の時にいたりて住吉の松のいただきの上より
西に向い馳せ去りぬ」~
(日本書記)
中大兄皇子の母皇極天皇が 斉明天皇として再び
即位された年(六五五)の記録にもあり~~
悠久の時代から 生駒山は 神霊の宿る山-----
また生駒山は今も山中にお瀧場として霊場が点在しています
弘法大師以後 般若窟は生駒山中の霊場の中心なり
寛平年間に生駒仙という者がいて 菩提を求めて---
行をしたとされています
延宝六年(一六七八)十月十日に 中興開山
湛海律師が入山された当時 --
その頃の山は
鬼や化け物などの妖怪が住み着いて 人々を脅すので
村人も 午後四時を過ぎると山には入りませんでしたが~
庄屋さんは これは般若の岩屋の罰を受けているからで
あろうと 山を治めてくれる行者を探し求め---
不動尊の行者として名が知れ渡っていた---
湛海に白羽の矢をたて--庄屋の話を伝え聞くや
湛海は二つ返事で生駒へ移ることを決心
庄屋を道案内として山に入られました
入山第一日目、散らばった石を取り片付け 座禅が
出来るほどの土地を整理して 夜露が掛からない様に
菰を張りって瞑想していると--夢のなかに
財天女がお出ましになり 天女は手桶を持って
水をお汲みになり 湛海を接待なさろうとされる
ご様子で何なりとも仰せの様に致しましょうと
申されました
それから三四日経った夜のこと髪の毛が針のように尖り
肌はごつごつとした岩のような大きな夜叉が組付いてきて
「ここは俺が住んでいる所だ 早く立ち去れ」と湛海を
圧し潰そうとしましたが 和尚は少しも慌てず ----
一心に不動明王のご真言を唱えると 夜叉も後をも振り
向かずに北の方へ逃げて行ったと伝えられています
本尊不動明王坐像
八万枚の護摩供を終えられた 湛海はその年の 秋
八月に 本尊不動明王坐像を
刻まれました
和尚は僧侶としての修練を積まれながら多くの仏像を刻まれ
仏画を描かれています中でも不動明王を始めとする忿怒像に
関しては 江戸時代随一の技術だとも評価されています
長い間の修行の上での仏像・仏画は単なる仏師にはない
鋭さを持ち 拝する者に畏敬の念を起こさせます
特に元禄十四年(一七〇一)に彫刻された厨子入り
五大明王像は 国の重要文化財にも指定されています
年頭に 一の鳥居を飾る 注連縄
冬銀河到来~「現世利益」を願い多くの参拝者を迎える
大鳥居の
注連縄は~
師走十六日の奉納される日まで
宝山寺の境内に置かれています
多謝! 多謝!
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釈尊が 菩提樹のもとで 瞑想され--悟りを開かれた日に
営まれているとも言われる-京都.上京区千本釈迦堂の
≪諸病除け≫の大根炊きは7日~8日が予定されており
大鍋で炊かれた大根を食べると諸病除けになる--とも
言われておりますね!
棒鱈の ねぢれ師走の 錦市 森ひろ (馬醉木)
燃ゆる胸秘めて師走の岳目指す 徳田正樹 (河鹿 )
ヘリオスの子の弾け飛ぶ師走かな 山田富朗 (遠嶺 )
小春日和の様な今朝(12/1)---師走突入!
生駒聖天の
好物である大根が 炊かれ
厄除けも兼ねて 参拝者に振る舞われる 師走一日
「現世利益」の
宝山寺は
商売繁盛等にも
御利益が有ると
言われ~全国各地から今年も
信仰心の厚い 多数の参詣者が集い--
談笑を交えながら湯気溢れる
大根炊きを楽しんで居られました
「大空の中に 龍に乗れる者あり かたち唐人に似たり
青き油笠を着て葛城の嶺より馳せて
胆駒山に隠る
午の時にいたりて住吉の松のいただきの上より
西に向い馳せ去りぬ」~
(日本書記)
中大兄皇子の母皇極天皇が 斉明天皇として再び
即位された年(六五五)の記録にもあり~~
悠久の時代から 生駒山は 神霊の宿る山-----
また生駒山は今も山中にお瀧場として霊場が点在しています
弘法大師以後 般若窟は生駒山中の霊場の中心なり
寛平年間に生駒仙という者がいて 菩提を求めて---
行をしたとされています
延宝六年(一六七八)十月十日に 中興開山
湛海律師が入山された当時 --
その頃の山は
鬼や化け物などの妖怪が住み着いて 人々を脅すので
村人も 午後四時を過ぎると山には入りませんでしたが~
庄屋さんは これは般若の岩屋の罰を受けているからで
あろうと 山を治めてくれる行者を探し求め---
不動尊の行者として名が知れ渡っていた---
湛海に白羽の矢をたて--庄屋の話を伝え聞くや
湛海は二つ返事で生駒へ移ることを決心
庄屋を道案内として山に入られました
入山第一日目、散らばった石を取り片付け 座禅が
出来るほどの土地を整理して 夜露が掛からない様に
菰を張りって瞑想していると--夢のなかに
財天女がお出ましになり 天女は手桶を持って
水をお汲みになり 湛海を接待なさろうとされる
ご様子で何なりとも仰せの様に致しましょうと
申されました
それから三四日経った夜のこと髪の毛が針のように尖り
肌はごつごつとした岩のような大きな夜叉が組付いてきて
「ここは俺が住んでいる所だ 早く立ち去れ」と湛海を
圧し潰そうとしましたが 和尚は少しも慌てず ----
一心に不動明王のご真言を唱えると 夜叉も後をも振り
向かずに北の方へ逃げて行ったと伝えられています
本尊不動明王坐像
八万枚の護摩供を終えられた 湛海はその年の 秋
八月に 本尊不動明王坐像を
刻まれました
和尚は僧侶としての修練を積まれながら多くの仏像を刻まれ
仏画を描かれています中でも不動明王を始めとする忿怒像に
関しては 江戸時代随一の技術だとも評価されています
長い間の修行の上での仏像・仏画は単なる仏師にはない
鋭さを持ち 拝する者に畏敬の念を起こさせます
特に元禄十四年(一七〇一)に彫刻された厨子入り
五大明王像は 国の重要文化財にも指定されています
年頭に 一の鳥居を飾る 注連縄
冬銀河到来~「現世利益」を願い多くの参拝者を迎える
大鳥居の
注連縄は~
師走十六日の奉納される日まで
宝山寺の境内に置かれています
多謝! 多謝!
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