『盲ひてなお浄慧の人は明らけし
面もちしろく春を寂びてぞ』{若山牧水}
遥か{唐}より六度{12年間}にも及ぶ 多難な渡航を乗り越え
日本僧の栄叡.普照に要請されて来日
日本僧の栄叡.普照に要請されて来日
悠久の時空を越えて 瞑想される名僧 {鑑真 和上}
{瓊 花}~和上の故郷 江蘇省揚州市の名花
可憐な白い花~{額紫陽花}に良く似た
{瓊花}は 揚州 {大明寺}で大切に育てられ
{鑑真和上遷化1200年} 1963年(昭和38年)
記念事業の一環として中国仏教協会から
贈られた{瓊花}を株分けされ 現在10株の
瓊花と 御廟にも1株が生育{唐招提寺}
御影堂供華園にて「瓊花」が5月8日迄
特別公開されています
{今年は例年より若干開花が遅く花の
状態によって期間を延長される事も
あるそうです}
大寺の まろき柱の 月かげを
土に踏みつつ ものをこそ思へ 会津 八一
『若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』
唐招提寺 開山堂で鑑真像を拝み詠う
芭
蕉
鑑真和上が 天平宝字七年(763)五月六日
結跏趺坐し
西に面し七十六年間の生涯を終えらましたが弟子
忍基は講堂の棟や梁のくじける夢を見て鑑真和上の
遷化近いこと予感---高80㎝ 脱活乾漆造り
穏やかな微笑--眼許から顎にかけて感じられる
強い意志--そんな和上の像を刻んだと言われています
筋骨逞しい体膈---拝する人々の心に迫り静まり
返っている盲いた二つの眼~{鑑真和上坐像}
鑑真和上が亡くなってから 九百年後---元禄元年四月
芭蕉は唐招提寺 鐘楼の北側の鑑真の往坊跡に建てられていた
開山堂で鑑真像を拝んで~~~
『若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』と詠った作品
芭蕉は鑑真像の盲いた双の眼に 露わならぬ悲しみ--
涙を感じとり----辺りは若葉で埋まっていて その若葉で
御眼の涙をぬぐって差し上げたい---そんな気持ちが
伝わってきますね!
盲いた眼を持って日本に渡って来られた鑑真像を拝し
静かに閉じられている二つの眼に打たれますね!
『天平の甍』の著者 井上靖は『おん目の雫』と題する
著述で,芭蕉の句について「芭蕉は鑑真像の 盲いた双の眼に
それと露わならぬ悲しみを 涙を感じ取ったのである」
「天平8年前後は鑑真にとっては最も苦しい時期であった
その苦しい時期のことを思い出す度に必ず榮叡と祥彦の
二人は鑑真の瞼の上に浮かんできたに違いないと思う
そして その都度 鑑真の盲いた眼は 何ものでも拭うことが
できぬ涙であったことであろうと思う---芭蕉はその涙を
若葉でぬぐって差し上げたいと思うたのである」(井上靖)
芭蕉が 開山堂で {鑑真和上坐像}を 拝み
『若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』と 詠んだ
鑑真和上坐像の {お身代わり}を迎える本願堂の解体修理が
平成25年5月の完成を目指して進んでおり
この 四方の入り母屋造りの{本願堂}は江戸時代初期に
徳川家から寄進されたものですね!
{若山牧水}
「水楢の柔き嫩葉(わかば)はみ眼にして
花よりもなほや白う匂はむ」
「盲ひてなお浄慧の人は明らけし面もちしろく春を寂びてぞ」
{会津八一}
「大寺のまろき柱の月かげを土に踏みつつものをこそ思へ」
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