[桜]はやっぱり~[山
桜!]
日本の伝統的
桜を残そうと 私財を投じ
何百本もの名木の接木や実生を育て
{桜一筋}に
情熱を傾け 研究を続けた
桜博士.笹部新太郎翁を
生涯尊敬した
植木職人.弥吉の
心からの叫びとして
水上勉は小説『櫻守』で描いていますね!
{本当の日本の桜というものは山桜や里桜だ!}
[染井吉野]は一つの飾り物に過ぎない!
[桜]はやっぱり[山桜]~小説『櫻守』 {桜は俺の命だ!
桜博士.笹部新太郎翁の遺したもの~}にも記述されています
桜博士.笹部新太郎翁の遺したもの~}にも記述されています
根底には安易に利便性を追求し過ぎ{日本文化に残されるべきもの}を
喪失されるのでは~そんな危惧を感じておられたのかも知れません
{萬葉集}にも歌われて来た~[桜]は開花までに何年もかかる~{山桜}
{江戸時代}に品種改良され手間も要らず~根付きやすく開花も早い~[染井吉野]
古来の日本の {桜}というものは[山桜]や[里桜]だと言われるのには
そんな[山桜]と [染井吉野]の違いを感じます
そんな[山桜]と [染井吉野]の違いを感じます
下千本・中千本は 落下が盛ん~}
よし野こずゑの花を見し日より
心は身にもそはず成りにき {吉野山に庵を結んだ西行}
{日本一のお花見名所}は吉野山
「山を登って降りるまでの 数時間 この世のものとは思えない位 神秘的な桜色の中に
浸れるよ」等々朝日新聞の読者からの 賞賛の声が 掲載されていましたね!
浸れるよ」等々朝日新聞の読者からの 賞賛の声が 掲載されていましたね!
吉野山の桜花は 全て[白山桜]~つまり
30,000本の桜花は桜の原種ともいえる
下千本~中千本~上千本
奥千本***下・中・上・奥***
{一目 千本}が吉野山
山下から山上へ順に見事に
開花していきます
奥千本***下・中・上・奥***
{一目 千本}が吉野山
山下から山上へ順に見事に
開花していきます
春入桜花満山白
南朝天子御魂香
南朝天子御魂香
春は 桜花に入って 満山白く
南朝の天子 御魂香し
南朝の天子 御魂香し
The cherry blossoms are at their best now
奥の千本[西行庵]あたりには まだ蕾の[山桜]も散見されましが
南朝の天子 御魂香し~吟ず[吉野の古老]の迫力に圧倒された次第です
南朝の天子 御魂香し~吟ず[吉野の古老]の迫力に圧倒された次第です
梁川星巌~河野鉄兜~藤井竹外
この三人の大人達の{芳野懐古} を互いに 吟詠できた
有意義な芳野行きとなり 有難う御座いました
有意義な芳野行きとなり 有難う御座いました
山禽叫斷夜廖廖 限無春風恨未銷
露臥延元陵下月 滿身花影南朝夢
{芳 野 懐 古} 河野鐵兜
蔵王堂
金峯山寺--奈良県吉野町にある修験道系の
仏教寺院で開基は 役小角と伝えられています
本堂(蔵王堂)(国宝)山上ヶ岳の大峯山寺本堂
[山上の蔵王堂]に対し 山下の蔵王堂と呼ばれ
屋根は入母屋造檜皮葺き2階建ての様に
見えるが構造的には{一重裳階付き}です
豊臣家の寄進で再興されたもので
扉金具の銘から天正19年(1592)の建立
高さ34㍍ 奥行 幅共に36㍍木造建築としては
東大寺大仏殿に次ぐ規模を持つと言われ豪壮な
建築で珍しいチャンチン材の柱が太く原木の曲がりを
東大寺大仏殿に次ぐ規模を持つと言われ豪壮な
建築で珍しいチャンチン材の柱が太く原木の曲がりを
残した自然木に近い柱が使われていることが特色です
内陣には巨大な厨子があり 本尊として
3体の巨大な蔵王権現像(秘仏)を安置しています
南北朝時代には南朝の中心地でもあり
[金峯山]とは 単独の峰の呼称ではなく
吉野山(奈良県吉野町)と その南方20数キロの
大峯山系に位置する山上ヶ岳(天川村)を含む山岳霊場を
大峯山系に位置する山上ヶ岳(天川村)を含む山岳霊場を
包括した名称でもありました
如意輪寺は 吉野町にある浄土宗の寺であり山号は
塔尾山 本尊は如意輪観音
塔尾山 本尊は如意輪観音
本堂の背後には足利尊氏により京を追われ 吉野の地で
崩御された 後醍醐天皇の陵[塔尾陵]はあまりにも有名です
崩御された 後醍醐天皇の陵[塔尾陵]はあまりにも有名です
淋しさに また銅鑼打つや 鹿火屋守 原 石鼎
深吉野の森閑とした闇のなかで[鹿火屋守]が淋しさに耐えかねて
銅鑼を打ち鳴らしたと想定されますね!
銅鑼を打ち鳴らしたと想定されますね!
原石鼎師が大正時代に作句したこの名句が残されています
*{鹿火屋}田畑を鹿や猪に荒らされない為に夜間獣が嫌う臭いものを
燻らせた小屋のことを言ったそうです
燻らせた小屋のことを言ったそうです
花の風 山蜂たかく わたるかな 飯田 蛇笏
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