[皐月}~薫風香り公園に可愛い子鹿も戯れる大和路!
[快慶]の代表的な作品を一堂に集め拝見出来る[特別展]
特別展 「快慶 日本人を魅了した仏のかたち」
並び称される[快慶]
後白河院主導[重源]により進められた{東大寺再興造像}
後白河院.追善建久3年(1192)の造像に抜擢され[康慶]の
弟子のなかでも[快慶]は特殊な立場とされていますね!
阿弥陀信仰者として造仏に臨み {阿弥陀如来立像}
{安阿弥様}と称され来迎.形阿弥陀の一典型とされ
快慶作品の成立と密接に関わる絵画ですね!
我々の共感を呼び起こし仏の規範とされつづける
快慶芸術の本質について考える機会に~~
博物館.講堂では講演も開催されています
山口 隆介さん(学芸部主任研究員)
5月27日(土)「快慶作品に関する二、三の問題」
岩田 茂樹さん(学芸部上席研究員)
必ず訪ねるのが[奈良県立美術館]です
[莫山先生]と[紫舟]~御両人は大和に所縁りが深いく
独創的.書家の[書の源流企画展] シンフォニー(交響)
無く古い木簡.石碑の素朴で力強い書風!漢詩文から
現代詩や自作の文へ対象を移し独自性.創造性を重視!
大和の仏像.自然との交流を創作へ結び付けつけた[榊莫山]
書の彫刻と光.影との融合.書と絵画との融合.デジタル技術
多様で独創的な作品が展示されていますね!
積んだ[奈良]への原点回帰.今日までの軌跡を集めた
素晴らしい書の源流企画展と言えますね!
「へぐり」自然と歴史ロマンへのいざない-
個性あふれる魅力的な歴史.文化.自然を育くむ
「へぐりの里」が 紹介されています
仮講堂に阿弥陀如来像[重文.鎌倉時代]~阿修羅像を含む
八部衆像.十大弟子像[国宝.奈良時代]~金剛力士像等々
国宝館の彫刻と相まって開扉させていますね!
冥福を願ってお建てになったものですが~天平期の
西金堂内陣を再現されています
仮講堂に移しての[阿修羅~天平乾漆群像展]は6月18日迄
阿修羅像.十大弟子像等を拝像する絶好の機会です
ゆくりなき もの の おもひ に かかげたる
うで さへ そら に わすれ たつ らし
けふ も また いくたり たちて なげき けむ
あじゆら が まゆ の あさき ひかげ に (山光集)
ちりぬれば 匂ひばかりを 梅の花
ありとや袖に 春風の吹く
千利 連八 尓保 比者可 越 里 二 能
藤原 有家(新古今)
唐招提寺 開山堂で鑑真像を拝み詠う
芭 蕉
西に面し七十六年間の生涯を終えらましたが
弟子 忍基は講堂の棟や梁のくじける夢を見て
鑑真和上の遷化近いこと予感!
高80㎝ 脱活乾漆造り穏やかな微笑--眼許から
顎にかけて 感じられる 強い意志!
そんな和上の像を刻んだと言われていますね!
筋骨逞しい体膈---拝する人々の 心に迫り
静まり返っている盲いた双つの眼{鑑真和上坐像}
芭蕉は唐招提寺 鐘楼の北側の鑑真の往坊跡に
建てられていた開山堂で鑑真像を拝んで
『若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』と詠った作品
芭蕉は鑑真像の盲いた双の眼に露わならぬ悲しみ
涙を感じとり----辺りは若葉で埋まっていて
その若葉で御眼の涙をぬぐって差し上げたい
そんな気持ちが伝わってきますね!
盲いた眼を持って日本に渡って来られた{鑑真像}を拝し
静かに閉じられている双の眼に打たれますね!
静かに閉じられている双の眼に打たれますね!
題する著述で芭蕉の句についてこの様に書いています
「芭蕉は鑑真像の 盲いた双の眼に それと露わならぬ
悲しみを 涙を感じ取ったのである」
あった その苦しい時期のことを思い出す度に必ず
榮叡と祥彦の二人は鑑真の瞼の上に浮かんできたに
違いないと思う そして その都度 鑑真の盲いた
眼は 何ものでも拭うことができぬ涙であった
ことであろうと思う---芭蕉はその涙を 若葉で
ぬぐって差し上げたいと思うたのである}(井上靖)
花よりもなほや白う匂はむ」
「盲ひてなお浄慧の人は明らけし
面もちしろく春を寂びてぞ」{若山牧水}
鎌倉時代~唐招提寺 中興の祖~大悲菩薩 覚盛上人
[不殺生を守りなさい.自分の血を与えるのも菩薩行]
蚊も殺さないほど 不殺生を貫いた覚盛上人を讃えて
大和.法華寺の尼僧が[せめて蚊を払えるように] [宝扇]
うちわを供えたのが始まりとされますね!
{ハート形の宝扇}~「うちわまき」五月十九日に
{梵網会}が行われます!
いただけたら]唐招提寺の石田太一.副執事長[談]
{うちわ}を2.3本ずつ計400本!厄よけを願う多くの
参拝に来られた人達は歓声を上げ乍ら舞うハート形の
前庭では舞楽奉納南都晃耀会により舞楽{振鉾}{陪臚}
{納曽利}奉納が催され~[うちわまき]が実施されます
観音の千手の中に筆もたす
み手一つありき涙す我は {白秋}
観世音像千手の指のことごとに
眼坐しにき清みかがやかに {白秋}
中興忌梵網会 法要~前庭では 舞楽奉納
南都晃耀会により 舞楽{振鉾}{陪臚}{納曽利}
奉納が催されました
土に踏みつつ ものをこそ思へ {会津八一}