走る 火影 揺れる あふれる涙 燃える
燃える 燃える 松明 「修二会」
♪春寒の弥生 三月春まだき君の肩にはらり 良弁椿
ここは東大寺 足早にゆく人垣の
誰となく独白く 南無観世音 折から 名残り 雪
君の手は既に 凍り尽くして居り
その心 ゆらり 他所にあり
もはや二月堂 天も焦げよと松明の炎見上げつつ何故君は泣く 雪のように火の粉が降る~~♪ {修二会} {さだまさし 作詞・作曲}
東大寺.法華堂{三月堂}「北門」芭蕉の句碑
東大寺.二月堂へ往く前に 広い東大寺境内で最初に訪ねたのが大仏殿の創建より古く
天平四年(733) 良弁僧正創建 {金鐘寺}の一堂でもある
法華堂{三月堂}でした水取りや 氷の僧の 沓の音 芭蕉
東大寺.三月堂「龍王之瀧」の 前 水取りや 氷の僧の 沓の音《 水取りや 籠の僧の 沓の音
》
天下安泰.万民幸福~1267回目を迎えた伝統行事が
粛々と行われているニ月堂 {修二会}お隣りの{法華堂}{北門}にある 芭蕉の句碑は
《水取りや 籠の僧の 沓の音》
ところが 松尾芭蕉が 貞享元年 伊勢・伊賀.大和・近江を巡った「野ざらし紀行」の
稿本・写本の中でも 芭蕉 直筆とされている『天理本』には [籠の僧]ではなく
[氷の僧]となっているそうです
二月堂に籠りて (前書)
水取りや 氷の僧の 沓の音
{天理大学付属.天理図書館は小生の地元でもあり 高校生時代から屡 受験勉強と
称して利用させて頂いていましたが 未だ芭蕉 直筆とされている『天理本』の
原本を拝読させて頂いていません~
俳壇の大御所(談)によれば~「氷の僧だから名句」~籠の僧とすれば~駄句に過ぎない
『佳景寂寞として
心すみゆくのみおぼゆ』 推敲の名手 {俳聖 芭蕉翁}
{奥の細道} 山寺 {立石寺~蝉の句}は推敲例として
有名ですが~ 山寺や石にしみつく蝉の声 {曾良書留}
淋しさの岩にしみ込せみの声 {木がらし}
さびしさや岩にしみ込蝉のこゑ {初蝉.泊船集}
閑さや岩にしみ入蝉の声
{閑さや}~{岩にしみ入}~推敲にて『奥の細道』本文には「佳景寂寞として心すみゆくのみおぼゆ」
と言ったのでしょうね!
平泉中尊寺に詣でた時の{光堂・金色堂} {五月雨の降のこしてや光堂}
蛍火の昼は消えつつ柱かな
五月雨や年ゝ降りも五百たび
五月雨の降のこしてや光堂
{随行日記}--曾良によれば日は{天気朗}芭蕉は{五月雨}を降らし{鮮やかな光堂}となり
余にも名句として残っているのでしょうね!
{若狭⇒東大寺二月堂{若狭井}⇒{お水送り}
若狭(小浜)~下根来八幡宮.山八神事!神宮寺境内.弓打神事.達陀~松明行列
鵜の瀬大護摩~{送水}神事が粛々と催行された{お香水}は若狭鵜の瀬から10日経て大和.東大寺二月堂「若狭井」に届くとされています
{若狭国.遠敷明神.遠敷河を領して魚を取りて遅参・二月堂のほとりに清水を涌き出ださせ
観音さまに奉上!いみじく たぐひなき 甘泉わき出たり石をたたみて 閼伽井とす}{二月堂縁起}
魚を採っていて参集に遅れた遠敷明神!
{二月堂縁起~}お水取り}の由来等が記されていますね!
天平勝宝 {752年}~連綿と途切れず幾多の辛酸を潜り抜け1250年以上に渡り 連綿と続けられている
1267回目東大寺二月堂 {修二会}「十一面悔過」
祈りの先導役の大導師を初めて務める上司永照.教学執事.自坊を出て{戒壇院}に設けられた
[別火坊]へ練行衆(こもりの僧)よりも5日早く準備を進められました
[修二会とは我々が安心して暮らしていけるように季節が季節通りにやってくることを祈るものです]
本尊.十一面観音の前で罪を悔いるのが懺悔!戦争や自然破壊まで「『過ぎる』ということを
悔いなければならない.それが懺悔やと思うんです](上司永照さん)
厳格な清浄さで 慰霊と災害.復興への 祈願.二月堂本尊の十一面観音に人々の罪を 懺悔
{五穀豊穣}{万民快楽}---幸せを祈る東大寺二月堂{修二会} 今年は1267回目を迎えました
二月堂の修二会(お水取り)3月1日未明入り11人の練行衆(こもりの僧)2月28日.二月堂下の
参籠宿所入り.3月1日未明に本行に入り14日間.人々が犯した罪や過ちを悔い.天下泰平を祈られます
連夜.僧を導くお松明が二月堂に上がれます
五日夜.東大寺と所縁が深い人々の{過去帳}奉読!
大仏造立を発願された聖武天皇~初代住職の
良弁僧正.寺の鎌倉再興を支援した源頼朝等々の御名前を高低や緩急を付けて奉読されています~二月堂内の練行衆の前に現れたとされる幻の女性
{青衣女人}~厳かな声が響いていたそうですね!
{ダーン! ダーン!~二月堂 堂内では上堂した練行衆は沓を鳴らし本尊に{参りました}と告げます
{ダン!ダン!ダン!}~~{ダダダダッ!
「差懸」(木製の履物)~沓の音は更に激しく二月堂.舞台の下まで響き渡り練行衆は
内陣に駆け入って行きますね!
{達陀の行 } (3月12日~14日) 炎の力で邪悪を払い 燃え盛る松明を持った火天役が内陣に
水天役と向き合い飛び跳ねる仕草を繰り返した後 松明が礼堂に投げ出されました
{籠松明} 11本~童子により 二月堂.舞台の欄干から松明を空に向けて 突き出し回転!
火の粉を散らしました この御堂の舞台から打ち振られる炎を各地から詰めかけた
2万3千人以上の方々が見みつめておられましたね!
二月堂下の 閼伽井屋にある「若狭井」から聖水の「香水」をくむ {お水取り}
本尊の十一面観音に供えられます
春寒の弥生三月十五日未明 大和路の春を呼ぶ煌めく{炎} 古都の祭典は世の平穏.
祈りを捧げ3月15日未明に満行 を迎えます!
火の行{達陀}で練行衆が使った被ると呪力が宿るとされている金襴の帽子 {達陀帽}
早朝の二月堂南側広場では古式床しい装束の二月堂朝参講の方々に我が子の
健やかな成長を願う御家族連れが {達陀帽}を被せて戴いていましたね!
神に近い子~{中灯 童子 敏 丸}
《東大寺 二月堂 大欄干》 聖域に入ることを許された
神に近い子《童子》
{中灯 童子 敏丸} として大松明を持つ{童子}を務められたのが
生駒の小生宅の近所にお住まいの 門谷敏也さんです
今年は御事情により御休場となりましたが~
{中灯さん~行きまぁ~すぅ} あの元気な声が聞かれず~東大寺二月堂大欄干で乱舞した勇壮な炎 {籠松明}を持たれた 門谷敏也さん今年は 御家庭の御事情で~あの時の
雄姿が観られないのが~残念な限りです
{火の行}とも言われる{修二会}で使われる松明は{二月堂.修二会}を裏で支える
{童子}よって作成されています
童子は 聖域に入ることを許された神に近い子の資格を持った人達であり
《練行衆》に 其々 一人ずつ付かれ門谷さんは 二月堂・大宿所で大松明の作成
食事等 練行衆の御世話で 昼夜を問わず多忙を極められていました
門谷敏也さん宅の門前に.今年もある--
二月堂大欄干--勇壮な炎が闇夜に乱舞した「籠松明」
《無病息災》を齎して頂く大松明(8M)・重さは 80キロと言われる~満行を迎えた『籠松明』を身近に眺め手に
触れる事が出来.あの日の感動が蘇えりました~本当に有難う御座います
東大寺 二月堂の舞台に突き出された長さが約8メートル 重さは60~70キロ
乱舞する籠松明大和路の春を呼ぶ{炎}ですね!
連綿と途切れず続く伝統行事{お水取り}特別陳列.東大寺~二月堂.修二会.
特別陳列{お水取り}
奈良国立博物館で「お水取り」がおこなわれる
期間に合わせ法会に用いられた法具.儀式の様子を伝える文書.東大寺所縁の絵画.出土品等が特別陳列されています
練行衆11人.が本尊・十一面観音の前で罪を悔い改め世界の人々の幸せや
{五穀豊穣}を祈る伝統行事で使われた法具.所縁の絵巻.国重要文化財{17件}等
65件が特別陳列されています
ちりぬれば 匂ひばかりを 梅の花
ありとや袖に 春風の吹く 千利 連八 尓保 比者可 越 里 二 能 (藤原 有家)(新古今)これよりは恋や事業や水温む 高浜虚子
大正5年.(高商句会)で[高浜虚子]が 東京高等商業の卒業生を送る俳句(水温む)
そんな季語が相応しい季節を迎えましたね!
「お水取りが 終わるまでは 暖かくならない」
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