「正月のどかなりしを此月さえかへりて更にきぬを着れば.きぬさらぎといふを
あやまれるなり按ずるにもとは.きぬさらぎ也」(藤原清輔)~歌論書『奥儀抄』
陰暦2月は『衣更着』と言われていますが~更に衣を重ね着る衣更着よりもあやまれるなり按ずるにもとは.きぬさらぎ也」(藤原清輔)~歌論書『奥儀抄』
陽気が更に来る2月『気更来』を 願望致したいものです!
[秋は金木犀.春は沈丁花]~沈丁花の香気{光の春}幽玄の炎.浄火を奉げ・
先祖の冥福を祈り商売繁盛!
息災を神々に願う春日大社~[節分萬燈籠] (2.3)が催されました
幽玄の世界}{災害.復興.祈願}息災祈る{節分萬燈籠
『春日権現霊験記繪』~春日明神の霊験の数々の詞書と絵~華やかな貴族の生活
庶民の風俗.樹木と神山と鹿の信仰.神仏習合に基づく春日浄土の世界絵は 高階隆兼・
西園寺公衡の発願で 延慶2年(1309)春日社に奉納され稠密華麗.色鮮やかに
綴られた(大和絵)の一頂点とさえ言われていますね!
春日権現霊験記 にも描かれている『瑠璃燈籠』綴られた(大和絵)の一頂点とさえ言われていますね!
[釣燈籠]の中でも最も古く 式年造替に合わせて五基新調されましたが.長暦弐年(1038)
藤原頼通が寄進[春日権現験記」~四つの本殿の軒先に1基ずつ緑色の燈籠が
描かれていますね!平安時代の『瑠璃燈籠』は奥州平泉.藤原氏が所蔵していた
記録もあり 室町時代には正月の数日間点灯!
鎌倉時代に藤原頼通.奉納の『瑠璃燈籠』を基に新調現存するのは弐代目と
考えられていますね!
『瑠璃燈籠』~正月の歳旦祭冬と夏の{萬燈籠}に掛けられ御灯が燈り平安人も瑠璃色を愛でたでしょう
平安朝の頃から庶民信仰が厚く藤原氏を始め
一般国民から奉納された境内にある 3000基!萬燈籠.古いのは釣り燈篭で藤原頼通の寄進した瑠璃燈籠(1038)
石燈籠では若宮社の南方にある藤原忠通の寄進した柚木燈籠 (1137)
飛火野横の参道には立派な2つの大燈籠崇敬者の願いを揉めた和紙が貼られ萬燈籠の日舞楽奉納の後.花山院弘匡宮司が
本殿前の「瑠璃燈籠」に点火され回廊につるされた1千基の釣灯籠.参道脇に並ぶ
2千基の石灯籠に参列者の各自が浄火を入れ境内にある約3000基
全ての[萬燈籠]に 火が灯されます
まるで 王朝.幽玄の世界が繰り広げられ本殿周辺は釣燈籠が並び 朱塗の回廊を照らし
恰も艶やかな平安朝の王朝絵巻の様ですね!
また燈籠が整然と並ぶ 二ノ鳥居から神苑付近も《蝋燭の明かり》が大和.春日社の
[冬の夜]を照らし(幽玄の世界)が繰り広げられます
(萬燈籠)は 江戸時代末頃までは(常夜灯)油料の続く限り毎晩燈されました
また(雨乞祈願)にも萬燈が行われたとの記録がある様ですね!
萬燈籠は明治維新後一時 廃止されたが明治21年から再興されて(節分と御盆)の
年2回 点火されています
近年は(中元萬燈籠)8月14日,15日 (節分萬燈籠) 2月節分日 節分萬燈籠・・
諸願成就の祈願祭で舞楽が奉納されます
「節分万灯籠の思い出」 (井浪 立葉)
[鹿紋様 しんしんと透き 万燈会]
[杉の秀に オリオン星座 万燈会]
[東より春は来ると植ゑし梅] (高浜虚子)
{天深く春立つものの芽を見たり}(加藤 楸邨)
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