大和高原 地元の福住中学校より丹精込めて
育てた素晴らしい菊花の 贈呈を受け—
満面に溢れる笑顔で 心から喜んでおられる
車椅子の皆様方~~こんな素敵なスナップ写真で
表紙を飾る--奈良 福住 光明苑{え~ あんばい}
第11号を池田施設長より先日送付して頂きました
24時間~介護スタッフが
入居者第一に
ケアプラン上の
介護一辺倒だけでは無く—
個々の生活スタイルを尊重しながら熱意を込め
精力的に介護に徹して頂いている(福住 光明苑)
{え~ あんばい} は 奈良県 福住 光明苑で
発行されている 心温まる 広報誌 です
{大和言葉で言う丁度ええ! ええ感じや!ですね!}
☆優しい 光 に つつまれて
明 るく 福(ゆたか)に住(くら)していただく
苑(ところ)・・ ・
心豊かな広報誌
{え~ あんばい} 第11号
奈良県下でも介護ケア等で最高水準の評価を受けて
おられるホームの関係もあり 天理市長の表敬訪問!
奈良県老人福祉大会への参加! 等々を 始め----
前述致しましたが地元の福住中学校より丹精込めて
育てられた素晴らしい菊花の 贈呈!--盛り沢山な
素敵なニュースで溢れています
こんなの素敵なニュースの一部を紹介いたします
{え~ あんばい}第11号から《趣味の手習い》
コーナーが始まり素晴らしい《俳句.川柳.短歌》が
掲載されています------巻頭の一首は---
山の辺の 細道通ひて 思わるる
式部の香り 木立に匂う
数々の《俳句・川柳・短歌》の名作を拝読し乍ら--
{福住 光明苑}で 御世話になっています 実母も--
現役の頃は 何処へ行く時も《俳句手帳》を
手離ずに 作句に励んでおりました----残念乍ら
昨今は 自ら起床はもとより 筆を持つ事さえ出来ない
身体になってしまいました-----
我田引水の様になってしまいますが----当時の
俳句作品より 一句 紹介させて頂きます
布留野辺の 日は うらうらと 若菜摘む
艶女 《松苗》
「魔法の言葉」~~
《「パ」「タ」「カ」「ラ」「ナ」》
毎号楽しく拝見していますのは
(みきこ{看護師} に お任せ!)---
福住 光明苑 医務課の方々が記載されており
何時も ユーモアたっぷりに 解り易く
説明をされているコーナーです
前回は オジイちゃんをお相手にして---
口腔ケアの続き-飲み込み(嚥下)に
関しての お話でした
「ゆっくり食事を楽しむように食べ
お茶もしっかり飲んで 食事の後に---
お口の中を清潔に保っておけば---
また美味しい物を食べに行く事が
出来るわよ!」--と結ばれていました
第11号では---飲み込む時に必要な唾液を
上手に使う「魔法の言葉」です
《「パ」「タ」「カ」「ラ」「ナ」》----
非常に参考になり 有難う御座います
阪神タイガース赤星憲広選手から
サイン入り 車椅子」のプレゼント!
2008年 阪神タイガースは残念ながら
優勝こそ逃しましたが--阪神に入団以来4年
連続でセ・リーグの盗塁王に輝いた赤星選手
ベースに向かって無我夢中に走りこんでいる
レッド・スター!--多くの野球ファンを
魅了致しています
赤星選手が自身の盗塁成功数に応じてプレゼント!
2003年より毎年継続して行っており—
車椅子を必要とする 全国の施設.病院に
届けています--
6年目となる今シーズン--赤星選手が記録した
公式戦41盗塁にクライマックス・シリーズでの
1盗塁を合わせ 合計42台(含む子供用3台)---
この赤星選手のサイン入り車椅子が贈られました
赤星選手は~「去年より増やせてよかったなというのが
心境です(去年 並べた車椅子の数を見て感じたような)
少なさを今年は感じないのでホッとしています
盗塁王は獲れませんでしたが 最後まで争って
数を増やせたことに 車椅子にサインをしながら--
今改めて、よかったなと感じました--
来年は50盗塁すれば キリのいい通算400盗塁になるし
とにかく今年の数を減らさないよう頑張りたい!」~と
力強く語っていましたね!
「盗塁は勇気だ!」と言いますが----私達も常に
プラス思考で 邁進致したいものです
[マッチ棒一本を--] 頭の体操コーナー
毎号の事ながら{頭の体操}では
仲々解けずに 今回も苦労致しました
(御笑知おき下さい~御免なさい(笑))
編集後記で {花水木の郷}チーフの
Kさんは~「至らない点が多い一年だった」と
謙虚な御言葉で結ばれていますが~~
日夜を問わずに 奮闘努力をされ
ケア サービスをして頂く
ケアワーカー. 看護師さんを始め
施設スタッフの方々の御苦労の大変さも
痛感致し 心から感謝致します
今後とも何卒宜しく 御願い致します
山のうえに、
かそけく人は住みにけり。
柳田国男とも親交があり
民俗学の立場から
古代研究の大人となられ—また
{釈 超空}として 歌人でもある
折口信夫先生の 御作を---
大和 山の辺の 嶺を仰ぎ乍ら--凛として
溌溂たる気で----朗詠致したいと思います
山のうえに、かそく人は住みにけり。
道くだり来る心はなごめり
釈 超空
LINK (PAL is My Family)
http://gen-okamoto.at.webry.info/
http://blog.goo.ne.jp/gogogen2000
倭は 国の まほろば たたなづく 青垣山 隠れる 倭し美し 命の 全けむ人は畳薦 平群の山の 熊白檮が 葉を 髻華に挿せ その子 愛しけやし 吾家の方よ 雲居起ち來も~ {大和 三山.大和 国中~遥か彼方に 二上山. 信貴. 生駒の山々~}
2008/12/16
2008/12/01
{現世利益} 聖天さんの 厄除 大根炊き
釈尊が 菩提樹のもとで 瞑想され--悟りを開かれた日に
営まれているとも言われる--京都.上京区 千本釈迦堂の
≪諸病除け≫の大根炊きは7日--8日が予定されており--
大鍋で炊かれた大根を食べると諸病除けになる--とも
言われておりますね!
棒鱈の ねぢれ師走の 錦市 森ひろ (馬醉木)
燃ゆる胸秘めて師走の岳目指す 徳田正樹 (河鹿 )
ヘリオスの子の弾け飛ぶ師走かな 山田富朗 (遠嶺 )
冬銀河到来~生駒聖天
厄除 大根焚き(師走一日)
生駒聖天の好物である 大根が 炊かれ
厄除けも兼ねて参拝者に振る舞われる 師走一日
「現世利益」の宝山寺は商売繁盛等にも御利益が
有ると言われ全国各地から 今年も信仰心の厚い 多数の
参詣者が集い--談笑を交えながら湯気溢れる
大根炊きを楽しんで居られました
「大空の中に龍に乗れる者あり かたち唐人に似たり
青き油笠を着て葛城の嶺より馳せて胆駒山(いこまやま)に
隠る 午の時にいたりて住吉の松のいただきの上より
西に向い馳せ去りぬ」~(日本書記)
中大兄皇子の母皇極天皇が 斉明天皇として再び
即位された年(六五五)の記録にもあり~~
悠久の時代から 生駒山は 神霊の宿る山---
また 生駒山は 今も山中に
お瀧場として霊場が点在しています
弘法大師以後 般若窟は生駒山中の霊場の中心なり 寛平年間に
生駒仙という者がいて 菩提を求めて行をしたとされています
延宝六年(一六七八)十月十日に 中興開山
湛海律師が入山された当時 --その頃の山は
鬼や化け物などの妖怪が住み着いて 人々を脅すので
村人も 午後四時を過ぎると山には入りませんでしたが~~
庄屋さんは これは般若の岩屋の罰を受けているからで
あろうと 山を治めてくれる行者を探し求め
不動尊の行者として名が知れ渡っていた
湛海に白羽の矢をたて--
庄屋の話を伝え聞くや湛海は二つ返事で
生駒へ移ることを決心 庄屋を道案内として
山に入られました
入山第一日目散らばった石を取り片付け座禅が出来る程の
土地を整理して 夜露が掛からない様に菰を張りって
瞑想していると夢のなかに 財天女がお出ましになり
天女は手桶を持って水をお汲みになり 湛海を
接待なさろうとされるご様子で 何なりとも
仰せの様に致しましょうと申されました
それから三四日経った夜のこと、髪の毛が針のように尖り
肌はごつごつとした岩のような大きな夜叉が組付いてきて
「ここは俺が住んでいる所だ、早く立ち去れ」と湛海を
圧し潰そうとしましたが 和尚は少しも慌てず ----
一心に不動明王のご真言を唱えると 夜叉も後をも
振り向かずに北の方へ逃げて行ったと伝えられています
本尊不動明王坐像
八万枚の護摩供を終えられた
湛海はその年の 秋 八月に
本尊不動明王坐像を刻まれました
和尚は僧侶としての修練を積まれながら 多くの仏像を刻まれ
仏画を描かれています 中でも不動明王を始めとする
忿怒像に関しては江戸時代随一の技術だとも評価されています
長い間の修行の上での仏像・仏画は、単なる仏師にはない
鋭さを持ち 拝する者に畏敬の念を起こさせます
特に元禄十四年(一七〇一)に彫刻された厨子入り
五大明王像は国の重要文化財にも指定されています
酒旨し 師走に友と 歌ふ時 大三
己丑の 年頭に
一の鳥居を飾る 注連縄
冬銀河到来~「現世利益」を願い 多くの参拝者を迎える
大鳥居の注連縄は~ 師走十六日の奉納される日まで
宝山寺の境内に置かれています
多謝! 多謝!
営まれているとも言われる--京都.上京区 千本釈迦堂の
≪諸病除け≫の大根炊きは7日--8日が予定されており--
大鍋で炊かれた大根を食べると諸病除けになる--とも
言われておりますね!
棒鱈の ねぢれ師走の 錦市 森ひろ (馬醉木)
燃ゆる胸秘めて師走の岳目指す 徳田正樹 (河鹿 )
ヘリオスの子の弾け飛ぶ師走かな 山田富朗 (遠嶺 )
冬銀河到来~生駒聖天
厄除 大根焚き(師走一日)
生駒聖天の好物である 大根が 炊かれ
厄除けも兼ねて参拝者に振る舞われる 師走一日
「現世利益」の宝山寺は商売繁盛等にも御利益が
有ると言われ全国各地から 今年も信仰心の厚い 多数の
参詣者が集い--談笑を交えながら湯気溢れる
大根炊きを楽しんで居られました
「大空の中に龍に乗れる者あり かたち唐人に似たり
青き油笠を着て葛城の嶺より馳せて胆駒山(いこまやま)に
隠る 午の時にいたりて住吉の松のいただきの上より
西に向い馳せ去りぬ」~(日本書記)
中大兄皇子の母皇極天皇が 斉明天皇として再び
即位された年(六五五)の記録にもあり~~
悠久の時代から 生駒山は 神霊の宿る山---
また 生駒山は 今も山中に
お瀧場として霊場が点在しています
弘法大師以後 般若窟は生駒山中の霊場の中心なり 寛平年間に
生駒仙という者がいて 菩提を求めて行をしたとされています
延宝六年(一六七八)十月十日に 中興開山
湛海律師が入山された当時 --その頃の山は
鬼や化け物などの妖怪が住み着いて 人々を脅すので
村人も 午後四時を過ぎると山には入りませんでしたが~~
庄屋さんは これは般若の岩屋の罰を受けているからで
あろうと 山を治めてくれる行者を探し求め
不動尊の行者として名が知れ渡っていた
湛海に白羽の矢をたて--
庄屋の話を伝え聞くや湛海は二つ返事で
生駒へ移ることを決心 庄屋を道案内として
山に入られました
入山第一日目散らばった石を取り片付け座禅が出来る程の
土地を整理して 夜露が掛からない様に菰を張りって
瞑想していると夢のなかに 財天女がお出ましになり
天女は手桶を持って水をお汲みになり 湛海を
接待なさろうとされるご様子で 何なりとも
仰せの様に致しましょうと申されました
それから三四日経った夜のこと、髪の毛が針のように尖り
肌はごつごつとした岩のような大きな夜叉が組付いてきて
「ここは俺が住んでいる所だ、早く立ち去れ」と湛海を
圧し潰そうとしましたが 和尚は少しも慌てず ----
一心に不動明王のご真言を唱えると 夜叉も後をも
振り向かずに北の方へ逃げて行ったと伝えられています
本尊不動明王坐像
八万枚の護摩供を終えられた
湛海はその年の 秋 八月に
本尊不動明王坐像を刻まれました
和尚は僧侶としての修練を積まれながら 多くの仏像を刻まれ
仏画を描かれています 中でも不動明王を始めとする
忿怒像に関しては江戸時代随一の技術だとも評価されています
長い間の修行の上での仏像・仏画は、単なる仏師にはない
鋭さを持ち 拝する者に畏敬の念を起こさせます
特に元禄十四年(一七〇一)に彫刻された厨子入り
五大明王像は国の重要文化財にも指定されています
酒旨し 師走に友と 歌ふ時 大三
己丑の 年頭に
一の鳥居を飾る 注連縄
冬銀河到来~「現世利益」を願い 多くの参拝者を迎える
大鳥居の注連縄は~ 師走十六日の奉納される日まで
宝山寺の境内に置かれています
多謝! 多謝!
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