釈尊が 菩提樹のもとで 瞑想され--悟りを開かれた日に
営まれているとも言われる--京都.上京区 千本釈迦堂の
≪諸病除け≫の大根炊きは7日--8日が予定されており--
大鍋で炊かれた大根を食べると諸病除けになる--とも
言われておりますね!
棒鱈の ねぢれ師走の 錦市 森ひろ (馬醉木)
燃ゆる胸秘めて師走の岳目指す 徳田正樹 (河鹿 )
ヘリオスの子の弾け飛ぶ師走かな 山田富朗 (遠嶺 )
冬銀河到来~生駒聖天
厄除 大根焚き(師走一日)
生駒聖天の好物である 大根が 炊かれ
厄除けも兼ねて参拝者に振る舞われる 師走一日
「現世利益」の宝山寺は商売繁盛等にも御利益が
有ると言われ全国各地から 今年も信仰心の厚い 多数の
参詣者が集い--談笑を交えながら湯気溢れる
大根炊きを楽しんで居られました
「大空の中に龍に乗れる者あり かたち唐人に似たり
青き油笠を着て葛城の嶺より馳せて胆駒山(いこまやま)に
隠る 午の時にいたりて住吉の松のいただきの上より
西に向い馳せ去りぬ」~(日本書記)
中大兄皇子の母皇極天皇が 斉明天皇として再び
即位された年(六五五)の記録にもあり~~
悠久の時代から 生駒山は 神霊の宿る山---
また 生駒山は 今も山中に
お瀧場として霊場が点在しています
弘法大師以後 般若窟は生駒山中の霊場の中心なり 寛平年間に
生駒仙という者がいて 菩提を求めて行をしたとされています
延宝六年(一六七八)十月十日に 中興開山
湛海律師が入山された当時 --その頃の山は
鬼や化け物などの妖怪が住み着いて 人々を脅すので
村人も 午後四時を過ぎると山には入りませんでしたが~~
庄屋さんは これは般若の岩屋の罰を受けているからで
あろうと 山を治めてくれる行者を探し求め
不動尊の行者として名が知れ渡っていた
湛海に白羽の矢をたて--
庄屋の話を伝え聞くや湛海は二つ返事で
生駒へ移ることを決心 庄屋を道案内として
山に入られました
入山第一日目散らばった石を取り片付け座禅が出来る程の
土地を整理して 夜露が掛からない様に菰を張りって
瞑想していると夢のなかに 財天女がお出ましになり
天女は手桶を持って水をお汲みになり 湛海を
接待なさろうとされるご様子で 何なりとも
仰せの様に致しましょうと申されました
それから三四日経った夜のこと、髪の毛が針のように尖り
肌はごつごつとした岩のような大きな夜叉が組付いてきて
「ここは俺が住んでいる所だ、早く立ち去れ」と湛海を
圧し潰そうとしましたが 和尚は少しも慌てず ----
一心に不動明王のご真言を唱えると 夜叉も後をも
振り向かずに北の方へ逃げて行ったと伝えられています
本尊不動明王坐像
八万枚の護摩供を終えられた
湛海はその年の 秋 八月に
本尊不動明王坐像を刻まれました
和尚は僧侶としての修練を積まれながら 多くの仏像を刻まれ
仏画を描かれています 中でも不動明王を始めとする
忿怒像に関しては江戸時代随一の技術だとも評価されています
長い間の修行の上での仏像・仏画は、単なる仏師にはない
鋭さを持ち 拝する者に畏敬の念を起こさせます
特に元禄十四年(一七〇一)に彫刻された厨子入り
五大明王像は国の重要文化財にも指定されています
酒旨し 師走に友と 歌ふ時 大三
己丑の 年頭に
一の鳥居を飾る 注連縄
冬銀河到来~「現世利益」を願い 多くの参拝者を迎える
大鳥居の注連縄は~ 師走十六日の奉納される日まで
宝山寺の境内に置かれています
多謝! 多謝!