『昇龍』陽気が動き草木が伸張するが如き{壬辰}
そらみつ 大和の國は 神からか ありがほしき
國からか 住みがほしき ありがほしき国は
あきつしま大和 {琴歌譜 正月元日 慶歌}
髻華の玉影 見れば羨しも
( 萬葉 巻第十三 弐))
五十串立神酒座奉神主部之雲聚玉蔭見者乏文
{二拝 二拍手 一拝}~武甕槌命が
白鹿に乗って遣って来来られたと
される《春 日 大 社》
白鹿に乗って遣って来来られたと
される《春 日 大 社》
平城京の守護の為に
創建された御社と
されており和銅3年(710)
藤原不比等が
平城遷都の際
藤原氏の氏神を
祀ったのが起こり
神護景雲2年 今の地に
社殿を造営 興福寺と同様
藤原氏が勢力を伸ばすにつれ
社殿の造営が行われ
平安後期には現在のような
規模を整えました
創建された御社と
されており和銅3年(710)
藤原不比等が
平城遷都の際
藤原氏の氏神を
祀ったのが起こり
神護景雲2年 今の地に
社殿を造営 興福寺と同様
藤原氏が勢力を伸ばすにつれ
社殿の造営が行われ
平安後期には現在のような
規模を整えました
本殿向って{右}--第一殿 茨城 鹿島神宮から
迎えられた武甕槌命{タケミカヅチのミコト}
第二殿 千葉 香取神宮から迎えられた経津主命
第三殿 天児屋根命{アメノコヤネのミコト}と
第四殿 比売神(ヒメガミ)は 枚岡神社から
{春日の地}に迎えて 祀られています
奈良時代の神護景雲二年(768) 現在地に四所の
神殿が創設されたのが始まりとされています
境内に含まれる主なものは 標高295mの
御蓋山全域の山林部と社頭から西方
飛火野・雪消の沢一帯の芝原
春日 若宮おん祭の御旅所から一の鳥居に至る
参道の地帯を含む平野部です
また{万燈籠}で知られる釣燈籠 石燈籠の多くは
庶民の寄進によるもので 庶民信仰の深さを
伺い知ることができますね!
毎年2月節分の日と8月14・15日の中元に
全ての燈籠に火を入れる“万燈籠”の
行事が行なわれています
春日社---「福の神12社」
第1番社 若宮神社 正しい智恵をくださる神様
第2番社 三輪神社 子孫繁栄 子供の無事成長-神様
第3番社 兵主神社 延命長寿を守ってくれる神様
第4番社 南宮神社 金運を守ってくれる神様
第5番社 広瀬神社 衣食住を守る神様・御稲荷様
第6番社 葛城神社 心願成就の 神様
第7番社 三十八所社 正しい勇気と力をくださる神様
第8番社 佐良気神社 商売繁盛を守る恵比寿様
第9番社 宗像神社 諸芸発達を守る神様・弁天様
第10番社 紀伊神社 万物の正気 命の根源を守る神様
第11番社 金龍神社 開運財運を守ってくれる神様
第12番社 夫婦大國社 夫婦円満 良縁 福運守護の神様
《石 上 振 神 宮》{石上神宮}
石上布留社は 古代の山辺郡石上郷に属する
布留山の西北麓に鎮座し 布都御魂大神は
神体である布都御魂剣に宿る神霊とされ
布都斯魂大神 宇摩志麻治命 五十瓊敷命
白河天皇 市川臣を 配祀されています
市川臣は 孝昭天皇の皇子.天足彦国押人命の
後裔で 当社社家の祖です
『古事記』・『日本書紀』に既に 石上神宮
石上振神宮との記述があり古代軍事氏族である
物部氏が祭祀し~ヤマト政権の武器庫としての
役割も果たしてきたと考えられています
社伝によれば布都御魂剣は武甕槌.経津主
二神による葦原中国平定の際に使われた剣で
神武東征で熊野において神武天皇が危機に
陥った時に 天津神から高倉下の手を通して
天皇の元に渡りその後 物部氏によって宮中で
祀られていたが神天皇7年勅命により物部氏の
伊香色雄命が現在地に遷し{石上大神}として
祀ったのが当社の創建とされています
また禁足地は今もなお 布留社と刻まれた
剣先状石瑞垣で囲まれています
《大聖歓喜自在天》{都史陀山大聖無動寺}
除日の夜~生駒聖天 鐘楼の余韻が~
凛として朗々と寓居にも響いて来ました
浅草 本龍院・待乳山聖天と並び三大聖天と
称されて歓喜天が守護神の宝山寺.生駒聖天
生駒は{大空の中に龍に乗れる者あり かたち
唐人に似たり 青き油笠を着て葛城の嶺より
馳せて胆駒山(いこまやま)に隠る~午の時に
いたりて住吉の松のいただきの上より
西に向い馳せ去りぬ~(日本書記)とあります
役小角 空海の修行の地との伝承があり~
今も山中にお瀧場として霊場が点在しています
延宝六(1678)年 宝山湛海の開山
本尊は 不道明王だが 聖天さんと呼ばれる
大聖歓喜自在天への信仰が強く
この寺の信仰は 般若磐と呼ばれる安山岩の
突起に出来ている洞穴に見る巨石信仰にあり
特に生駒市から南へ行った処から見る岩山
ただならぬものを感じますね!
{壬 辰} 元朝の宝山寺境内~{現世御利益}
{商売繁盛}~祈願に全国各地から多くの
善男善女達も聖天さんを訪れ--山門に
師走十六日に奉納された 無垢な注連縄を
凛として潜られた事と思われます
生駒山が御神体の往馬坐伊古麻都比古神社
《往 馬 大 社》
御祭神は 伊古麻都比古神 (産土の男神)
伊古麻都比賣神(産土の女神)ほか 五柱で
貞観元年(西暦859年)『延喜式神名帳』には
往馬坐伊古麻都比古神として名を連ねる神社です
また{生駒曼荼羅図}は県の絵画とされ伝統行事の
火祭りは県の無形民俗文化財と指定されています
つまり 往馬大社は古くから火の神として尊ばれ
歴代天皇の大嘗祭に用いられる 火きり木を
献上されており昭和天皇の大嘗祭や平成2年に
執り行われた 平成の大嘗祭の{斎田點定の儀}にも
{往馬大社}の 火きり木が使用されました
酒もすき 餅もすきなり 今朝の春 高浜虚子
山めぐる 大和国原 日の始 岡本 艶女 『松 苗』
『昇龍』~陽気が動き草木が伸張するが如き{壬辰}
国家の安寧.皆様の{弥栄}を祈念致します