日本列島{鍋底寒波}到来 真っ直中~ 岐阜県側から
奥穂高岳 涸沢岳 北穂高岳 前穂高岳 西穂高岳等々
飛騨山脈・穂高連峰を展望したく 奥飛騨 雪の回廊を廻り
新穂高ロープウエイにて{槍・穂高}に一番近いと言われる
氷点下の{西穂高口}展望台へと勇んで登ってみました
遥か彼方の加賀白山連峰の山頂部分は残念乍
若干雲に遮られていたが 眼前に鮮やかな飛騨山脈
白銀の北アルプス連峰が迫る様に取り巻き
その圧巻には 圧倒されました
Yankee Doodle went to town,
a-riding on a pony;Stuck a feather in his cap
and called it macaroni.[ Chorus ]
Yankee Doodle Keep it up,Yankee doodle dandy.
Mind the music and the step.
And with the girls be handy!
♪槍や穂高はかくれて見えぬ 見えぬあたりが槍穂高
命捧げて恋するものに 何故に冷たい岩の肌~♪
奥飛騨温泉郷・新穂高温泉を流れる浦田川
その急流を横面に 心を癒される露天風呂
{新穂高の湯}では 満天の星とまではいか
なかったが{金森長近}の城下町 飛騨高山
『萬葉集』にも出てくる{物は思はじ 飛騨匠
打つ墨縄の只一道}を思い浮かべました
{飛騨の歴史.文化}墨縄.正確
無比な直線 {飛騨の匠}
無比な直線 {飛騨の匠}
旧矢嶋邸跡地には 旧高山市
郷土館が 博物館施設
{飛騨高山まちの博物館}では
郷土の貴重な歴史資料
郷土館が 博物館施設
{飛騨高山まちの博物館}では
郷土の貴重な歴史資料
{飛騨の歴史.文化}
今回は特に「木」に関する
貴重な資料として
宮田北州の「蒔絵硯箱」
貴重な資料として
宮田北州の「蒔絵硯箱」
「琵琶 銘菅鳥」等が
展示されていました
また{城下町高山}~高山城を
築城した{金森長近}
城下町の中へは東西南北の街道が
引き込まれ 飛騨の政治 経済の
中心として栄え 町年寄による
町行政や町人たちの営み
その後の幕府直轄地へと{金森氏6代}等々も展示されています
{飛騨の匠}はなんと言っても{飛騨の歴史.文化}の
中でも特筆すべき一つだと思います
かにかくに 物は思はじ 飛騨匠 打つ墨縄の只一道に
飛騨の匠達の打つ墨縄による正確無比な直線
恰も真摯で高度な技術の証だとも言われています
大和・飛鳥で真摯に宮殿の造営に取り組んだと
される{飛騨の匠}~また{法隆寺 金堂}
釈迦三尊像の光背には{推古天皇31年}
止利仏師作と銘記され~止利仏師の生誕地伝承が
飛騨の河合等々~飛騨の匠に関する多くの伝承が
残っていますね!
{飛騨の匠}~制度が自然消滅する平安末期迄
五百年間に亘って飛騨から都へ出役した{匠}は
四.~五人にも達したとも伝えられていますね!
ところで 南朝より(133年)飛騨国司に任じられた
姉小路家綱~古川町杉崎の小島城を居城とし
京都を偲んでか杉崎を流れる川を加茂川とし
北野神社を祭ったとも言われていますね!
宮中の御歌会にも奉仕した 飛騨国司 姉小路基綱 済継
飛騨文芸の先駆けとも言える和歌
飛騨文芸の先駆けとも言える和歌
故郷に のこるこころは 心にて
みはなほひなの身を なげくかな 基綱
雲をわけ 濁をいでし こころもや
おなじ蓮の 露のつきかげ 済継
時代は移り 戦国の頃~戦乱を逃れ近江の守山市
金森に移住した金森長近は織田信長に仕え
功績により信長の命で{長近}~信長の死後は
秀吉に仕え大八賀村鍋山城 高山城に移り
飛騨を治め~秀吉の死後は徳川家康方に従い
可重と共に関ヶ原で戦ったとされ金森長近の養子
可重が古川の地に増島城なる屋敷城を築き
城下町~高山の町割を壱之町 弐之町 三之町と
名付けとされ町内を堀川が流れ町屋は
板葺だったそうですね!
また3代目の重頼は鉱山の採掘にも
かなり力を入れたとされています
かにかくに 物は思はじ 飛騨匠
打つ墨縄の 只一道に
{萬葉巻十一・二六四八番 作者未詳}
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