躍動的な[達陀の行] (3月12日~14日) {炎}の力!
邪悪を払い 燃え盛る籠松明を持った火天役
内陣に水天役と向き合い飛び跳ねる仕草を繰り返した後
松明が礼堂に投げ出され 春寒の弥生三月十五日未明
大和路の春を呼ぶ煌めく{炎} 古都の祭典は世の平穏.祈りを捧げ
邪悪を払い 燃え盛る籠松明を持った火天役
内陣に水天役と向き合い飛び跳ねる仕草を繰り返した後
松明が礼堂に投げ出され 春寒の弥生三月十五日未明
大和路の春を呼ぶ煌めく{炎} 古都の祭典は世の平穏.祈りを捧げ
三月十五日未明に 満行 を迎えますね!
[神に近い子]~{中灯 童子 敏 丸}
勇壮な炎 {籠松明}を持たれた 門谷敏也さん~今年は 御家庭の御事情で
あの時の雄姿が観られないのが~残念な限りです
あの時の雄姿が観られないのが~残念な限りです
門谷さんは 二月堂・大宿所で大松明の作成.食事等 練行衆の御世話で
昼夜を問わず多忙を極められていました
昼夜を問わず多忙を極められていました
満行を迎えた『籠松明』を身近に眺め手に触れる事が出来.あの日の
感動が蘇えります本当に有難う御座いました
感動が蘇えります本当に有難う御座いました
東大寺.法華堂{三月堂}「北門」芭蕉の句碑
二月堂へ往く前に
広い東大寺境内で最初に訪ねたのが
大仏殿の創建より古く天平四年(733) 良弁僧正創建
{金鐘寺}の一堂でもある 法華堂{三月堂}でした
大仏殿の創建より古く天平四年(733) 良弁僧正創建
{金鐘寺}の一堂でもある 法華堂{三月堂}でした
東大寺・三月堂「龍王之瀧」の 前
水取りや 氷の僧の 沓の音
《 水取りや
籠の僧の 沓の音 》
天下安泰.万民幸福・1265回目を迎えた伝統行事.粛々と行われている
ニ月堂 {修二会} ~御隣りの{法華堂}
{北門}にある 芭蕉の句碑は
ニ月堂 {修二会} ~御隣りの{法華堂}
{北門}にある 芭蕉の句碑は
《水取りや 籠の僧の 沓の音》
ところが
松尾芭蕉が 貞享元年 伊勢.・伊賀.大和.近江を巡った
[野ざらし紀行]の稿本.写本の中でも芭蕉 直筆とされている
『天理本』には[籠の僧]ではなく[氷の僧]となっているそうです
[野ざらし紀行]の稿本.写本の中でも芭蕉 直筆とされている
『天理本』には[籠の僧]ではなく[氷の僧]となっているそうです
高校生時代から屡
受験勉強と称して利用させて
頂いていましたが残念乍ら未だ芭蕉 直筆と
されている『天理本』原本を拝読する機会がありません
俳壇の大御所(談)~「氷の僧だから名句!
籠の僧とすれば駄句に過ぎない!
『佳景寂寞として心すみゆくのみおぼゆ』
推敲の名手.俳聖 芭蕉
{奥の細道} 山寺 {立石寺~蝉の句}は
推敲例として
有名ですが~
山寺や石にしみつく蝉の声
{曾良書留}
淋しさの岩にしみ込せみの声 {木がらし}
さびしさや岩にしみ込蝉のこゑ {初蝉.泊船集}
閑さや 岩にしみ入蝉の声
{閑さや}~{岩にしみ入}~推敲にて~
『奥の細道』本文には~
「佳景寂寞として心すみゆくのみおぼゆ」
と言ったのでしょうね!
{五月雨の降のこしてや光堂}
蛍火の昼は消えつつ柱かな
五月雨や年ゝ降りも五百たび
五月雨の降のこしてや光堂
{随行日記}--曾良によれば日は{天気朗}
芭蕉は{五月雨}を降らし{鮮やかな光堂}となり
余にも名句として残っているのでしょうね!
大正5年.高商句会で虚子が東京高等商業の卒業生を送る俳句
{水温む}~そんな季語が相応しい季節を迎えますね!
{水温む}~そんな季語が相応しい季節を迎えますね!
千利 連八 尓保 比者可 越 里 二 能 [藤原 有家](新古今)
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