2018/07/25

[人は地に法り.地は天に法り~『自然』~蝉時雨に癒され乍ら(芭蕉の旅姿)を模したとされる(俳聖殿)『時鳥 鰹を染めに けりけらし』~伊賀上野巡り~(PART Ⅱ)



『自然.注に曰.天に従ふを道と謂ひ.
道に従ふを自然と謂ふ』(芭蕉翁顕彰碑)『自然』伊賀鉄道.上野市駅から上野丸之内.
上野公園内の『芭蕉翁記念館』を訪ねる前に通るのが伊賀市役所!
『升かふて分別かわる月見かな』芭蕉の句碑有りますが.市役所表玄関の南に
(芭蕉翁顕彰碑)~文学碑『自然』の匠案は伊賀出身の濱邊萬吉氏が担当され 
芭蕉の真筆を刻まれた~『自然』
「人法地.地法天.天法道.道法自然」(老子)
(人は地に法り.地は天に法り.天は道に法り.道は自然に法る)「中庸」や
「老子」に造詣が深かった芭蕉が確立した蕉風体.俳諧の理念を表す
言葉として用いたと言われていますね!
上野公園内『芭蕉翁記念館』で伊賀上野の語り部顧問の百上進一さんに現代俳句に至る.
懇切丁寧な御説明を受け乍ら(俳聖殿)迄御一緒させて頂いた次第です
蝉時雨に癒され乍ら(芭蕉の旅姿)を模したとされる(俳聖殿)(2010)平成22年に
国の重要文化財に指定された(俳聖殿)で芭蕉翁の面影を偲いでみました
上層の屋根が笠.下部が顔.下層のひさしは蓑と衣姿~堂は脚部.回廊の柱は杖と脚を~~
下層八角形平面上層円形平面の木造建築・屋根は桧皮葺!
芭蕉翁の旅姿をあらわす(俳聖殿)は昭和17芭蕉翁誕生300年を記念して故川崎克氏が
私費を投じて建設され.毎年1012日の芭蕉逝去の日!俳聖殿前で市主催の(芭蕉祭)
催され応募された献詠俳句・連句の特入選が発表されます!
平成29年度の芭蕉翁献詠俳句(English Haiku英語俳句の部~特選2句!
The war end day―A young soldier’s will says
   “I will be a star.”JapanKyoko Shimizu
(終戦忌 星になるてふ 兵の遺書(自訳)
tinder-dry heathland cracked hooves of wild ponies
    exploding seedpods (UK Sheila K. Barksdale)
(種薯割る 野馬のひづめ 荒野地帯)
一般の部・特選2句!
「冷奴どこを割ひてもわが昭和」(畑中継雄)むつ市
「文仁野の松に潮鳴る沖縄忌」 (古波蔵里子)豊見城市
俳聖殿には芸術院会員長谷川栄作氏が原像.川崎克氏が焼成した伊賀焼きの芭蕉翁瞑想像が
安置され芭蕉祭当日に表彰される顕詠俳句特選句が飾られています!
『 蓑虫の音を聞きに来よ草の庵 』(蓑虫庵)
芭蕉五庵(無名庵.西麗庵.東麗庵.瓢竹庵.蓑虫庵)唯一現存するのが芭蕉翁の門人.
服部土芳の草庵
貞享5(1688))3月に芭蕉が訪れ庵開きのお祝いに贈った「蓑虫の 音を聞きに来よ 
草の庵」この句に因んで『蓑虫庵』と名付けられたそうですね!
昭和13年県指定文化財史跡.名勝に指定!門人.服部土芳はここで芭蕉翁の遺語を集めて
(三冊子)を執筆していますね!
(蓑虫庵)を跡に伊賀市内の一部(芭蕉句碑)巡りと 洒落んだ次第です! 
[やまざとはまんざい遅し梅花](芭蕉)上野公園東入口
[さまざまの事おもひ出す桜哉](桃青) 上野公園
[よくみればなづな花さく垣ねかな](はせを)蓑虫庵
[古池や蛙飛びこむ水の音」(はせを) 蓑虫庵
[閑さや岩にしみ入る蝉の声](芭蕉)ふるさと芭蕉の森
[行秋や手をひろげたる栗のいが](芭蕉) 芭蕉の森
[旅人と我名よばれん初しぐれ] (芭蕉)  芭蕉の森
「草臥て宿かる比や藤の花」(芭蕉翁)ふじ旅館
「自然注曰従天謂道従道謂自然矣」
         (東野芭蕉桑門)伊賀市役所前
「月ぞしるべ こなたへ入せ 旅の宿」(芭蕉)
    JR  伊賀上野駅
The war end day―A young soldier’s will says
   “I will be a star.”JapanKyoko Shimizu
(終戦忌 星になるてふ 兵の遺書(自訳)
No more Hiroshima No more Nagasaki!
73回目の{終戦記念日}戦没者を追悼し 国民の全てが心から平和を祈念する日が間近!  
鳴神の 音のみ聞きし巻向の 檜原の山を  今日見つるかも(柿本朝臣人麻呂歌集)
                          『山を 詠む』 (萬葉 巻 7-1092)
LINK  Lucky PAL (PAL is My Family)


2018/07/15

『炎天を 槍のごとくに 涼気すぐ』 古郷や臍の緒に{日本の四季と芭蕉}『時鳥 鰹を染めに けりけらし』夏の企画展.伊賀市上野『芭蕉翁記念館』




{日本の四季と芭蕉 芭蕉翁記念館.夏の企画展~『時鳥 鰹を染めに けりけらし』~
[染めにけり]と断定し[けらし]と推量の助動詞を加え~[貞門派]に対し延宝期から流行した
[談林派](宗因)の新しい波に大いに賛同した(松尾芭蕉)
(談林俳諧)を経て松尾芭蕉の蕉風を感じさせる[染めにけり][けらし]の薫風と言えますね 
(代々の賢き人々も.古郷はわすれがたきものにおもほへ侍るよし。我今は.はじめの
老も四とせ過て.何事につけても昔のなつかしきまゝに、、) 
『古郷や臍の緒に泣としのくれ』 
[日本列島・太平洋高気圧が張り出し7月下旬迄.猛暑日が続く見通しの昨今.
「笈の小文」の旅で故郷伊賀の実家へ帰った芭蕉が自らの臍の緒を見て
今は亡き父母の慈愛の情も懐かし芭蕉の故郷.伊賀!


『時鳥 鰹を染めに けりけらし』
芭蕉生誕の地.生家は改修工事の為一時閉館.現在非公開になっています
{日本の四季と芭蕉~夏の企画展が催されている三重県伊賀市上野丸之内・
上野公園内にある『芭蕉翁記念館』を目指した次第です 
[四方を山に囲まれた盆地で藤堂藩の城下町!藩主藤堂高虎公は慶長13年(1608)
伊予から伊賀.伊勢へと転封・伊賀国10万石.伊勢国の内10万石!
伊予国の内2万石を与えられ津に本城.伊賀上野は支城とし城代家老が執政を行った~ 
伊賀市上野丸之内.上野公園内『芭蕉翁記念館』 
「芭蕉翁紀行足跡図」「野ざらしの旅(甲子吟行)「鹿島詣」「笈の小文の旅」
「更科の旅」「おくのほそ道の旅」5つの旅の足跡が分かる様に電光パネルが
設置されていますね! 
俳聖芭蕉翁を顕彰する事業の一つ神部滿之助氏の篤志寄付にて昭和34(1959)
建てられ.芭蕉翁記念館.館内の(芭蕉文庫)には芭蕉の真蹟をはじめ近世から現代に
至る連歌~俳諧に関する資料等が数多く保存! 
芭蕉筆 猿蓑歌仙・「市中は」歌仙巻子
芭蕉筆 万菊丸いびきの図
芭蕉筆「旅人と・・」発句色紙
芭蕉筆 梅人画・破笠画芭蕉翁肖像
芭蕉筆「古里や・・・」句切.等々 
(草仮名)を多く交えた『芭蕉筆』の発句.色紙を解せんものと[苦心惨憺]
していたらボランティア.ガイドをされている(いがうえの 語り部)顧問
百上進一さんが近づいて来られ懇切丁寧に説明を受けた次第です! 
蝉時雨に癒され乍ら(芭蕉の旅姿)を模したものとされる(俳聖殿).
御一緒にさせて頂き(2010)平成22年に国の重要文化財に指定された俳聖殿
芭蕉翁の面影を偲いでみた次第です 
上層の屋根が笠.下部が顔.下層のひさしは蓑と衣姿・堂は脚部.回廊の柱は杖と脚を~~
下層八角形平面.上層円形平面の木造建築・屋根は桧皮葺!
俳聖殿の内部には芭蕉祭当日に表彰される顕詠俳句・特選句が飾られていますね! 
(俳聖殿)や芭蕉の門人.服部土芳の草庵、芭蕉五庵(無名庵・西麗庵・東麗庵・瓢竹庵・
蓑虫庵)のうち唯一現存する庵(蓑虫庵)

伊賀上野市内の芭蕉翁句碑巡り等は.後日に{MY Web log}(伊賀上野行き)
(PART )にて 綴ってみたいと思います
 
『父母の しきりに恋し 雉子の声』
『さまざまの こと思ひだす桜かな』(笈の小文) 
元禄壱年(1688)高野山で詠まれた芭蕉四十五歳の作 
「焼野の雉子」⇒雉は子を思うことが切なる鳥.霊場高野山で雉の声を聞き
一入深く亡き父母を偲ばれたのでしょう(句碑.高野山 奥の院)
「山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」(行基菩薩)
(玉葉集)を心に置いた句でしょうね! 
『古郷や臍の緒に泣としのくれ』 
「代々の賢き人々も.古郷はわすれがたきものに.おもほへ侍るよし。
我今は.はじめの老も四とせ過て.何事につけても昔のなつかしきまゝに、、、 
『炎天を 槍のごとくに 涼気すぐ』 (飯田 蛇笏)
連日の様な{熱い夏}~飯田蛇笏師の 名句の如く~槍のごとくに涼気すぐ~
爽やかな涼気を願うこと切! 
記録的な暑さとなっている日本列島一週間以上も猛暑日が続いています
体温以上の暑さになる所もあり{高温注意情報}を出している都府県も多くあり.
熱中症にならない様.小まめな水分補給等.体調管理一層の御注意の程! 
LINK  Lucky PAL (PAL is My Family)
http://gen-okamoto.at.webry.info/
http://blog.goo.ne.jp/gogogen2000
http://blogs.yahoo.co.jp/gogogen2005