[染めにけり]と断定し[けらし]と推量の助動詞を加え~[貞門派]に対し延宝期から流行した
[談林派](宗因)の新しい波に大いに賛同した(松尾芭蕉)
(談林俳諧)を経て松尾芭蕉の蕉風を感じさせる[染めにけり][けらし]の薫風と言えますね
(代々の賢き人々も.古郷はわすれがたきものにおもほへ侍るよし。我今は.はじめの
老も四とせ過て.何事につけても昔のなつかしきまゝに、、)
『古郷や臍の緒に泣としのくれ』
[日本列島・太平洋高気圧が張り出し7月下旬迄.猛暑日が続く見通しの昨今.
「笈の小文」の旅で故郷伊賀の実家へ帰った芭蕉が自らの臍の緒を見て
今は亡き父母の慈愛の情も懐かし芭蕉の故郷.伊賀!
『時鳥 鰹を染めに けりけらし』
芭蕉生誕の地.生家は改修工事の為一時閉館.現在非公開になっています
{日本の四季と芭蕉~夏の企画展が催されている三重県伊賀市上野丸之内・
上野公園内にある『芭蕉翁記念館』を目指した次第です!
[四方を山に囲まれた盆地で藤堂藩の城下町!藩主藤堂高虎公は慶長13年(1608)
伊予から伊賀.伊勢へと転封・伊賀国10万石.伊勢国の内10万石!
伊予国の内2万石を与えられ津に本城.伊賀上野は支城とし城代家老が執政を行った~
伊賀市上野丸之内.上野公園内『芭蕉翁記念館』
「芭蕉翁紀行足跡図」「野ざらしの旅(甲子吟行)「鹿島詣」「笈の小文の旅」
「更科の旅」「おくのほそ道の旅」5つの旅の足跡が分かる様に電光パネルが
設置されていますね!
俳聖芭蕉翁を顕彰する事業の一つ神部滿之助氏の篤志寄付にて昭和34年(1959)に
建てられ.芭蕉翁記念館.館内の(芭蕉文庫)には芭蕉の真蹟をはじめ近世から現代に
至る連歌~俳諧に関する資料等が数多く保存!
芭蕉筆 猿蓑歌仙・「市中は」歌仙巻子
芭蕉筆 万菊丸いびきの図
芭蕉筆「旅人と・・」発句色紙
芭蕉筆 梅人画・破笠画芭蕉翁肖像
芭蕉筆「古里や・・・」句切.等々
(草仮名)を多く交えた『芭蕉筆』の発句.色紙を解せんものと[苦心惨憺]
していたらボランティア.ガイドをされている(いがうえの
語り部)顧問
百上進一さんが近づいて来られ懇切丁寧に説明を受けた次第です!
蝉時雨に癒され乍ら(芭蕉の旅姿)を模したものとされる(俳聖殿)迄.
御一緒にさせて頂き(2010年)平成22年に国の重要文化財に指定された俳聖殿
芭蕉翁の面影を偲いでみた次第です
上層の屋根が笠.下部が顔.下層のひさしは蓑と衣姿・堂は脚部.回廊の柱は杖と脚を~~
下層八角形平面.上層円形平面の木造建築・屋根は桧皮葺!
俳聖殿の内部には芭蕉祭当日に表彰される顕詠俳句・特選句が飾られていますね!
(俳聖殿)や芭蕉の門人.服部土芳の草庵、芭蕉五庵(無名庵・西麗庵・東麗庵・瓢竹庵・
蓑虫庵)のうち唯一現存する庵(蓑虫庵)
伊賀上野市内の芭蕉翁句碑巡り等は.後日に{MY Web log}(伊賀上野行き)
(PART Ⅱ)にて 綴ってみたいと思います
『父母の しきりに恋し 雉子の声』
『さまざまの こと思ひだす桜かな』(笈の小文)
元禄壱年(1688)高野山で詠まれた芭蕉四十五歳の作
「焼野の雉子」⇒雉は子を思うことが切なる鳥.霊場高野山で雉の声を聞き
一入深く亡き父母を偲ばれたのでしょう(句碑.高野山 奥の院)
一入深く亡き父母を偲ばれたのでしょう(句碑.高野山 奥の院)
「山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」(行基菩薩)
(玉葉集)を心に置いた句でしょうね!
『古郷や臍の緒に泣としのくれ』
「代々の賢き人々も.古郷はわすれがたきものに.おもほへ侍るよし。
我今は.はじめの老も四とせ過て.何事につけても昔のなつかしきまゝに、、、
『炎天を 槍のごとくに 涼気すぐ』 (飯田 蛇笏)
連日の様な{熱い夏}~飯田蛇笏師の 名句の如く~槍のごとくに涼気すぐ~
爽やかな涼気を願うこと切!
記録的な暑さとなっている日本列島一週間以上も猛暑日が続いています
体温以上の暑さになる所もあり{高温注意情報}を出している都府県も多くあり.
熱中症にならない様.小まめな水分補給等.体調管理一層の御注意の程!
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