2023/01/20

熊野灘と遠州灘を分ける 海の難所⇒♪伊勢の神崎.国崎の鎧. 波切大王なけりゃよい~志摩半島東南端.大王崎 (折口信夫)~豪商のまち伊勢松阪~リアス海岸.紺碧の英虞湾巡り (PART Ⅱ)

             ♪ 伊勢の神崎.国崎の鎧. 波切大王なけりゃよい~ 

熊野灘と遠州灘を分ける 海の難所 大王崎! 太平洋の荒波が寄せる岸壁の先端

摩半島 東南端の.波切にある白亜の [大王崎灯台]

大海原の向こうに  神島や渥美半島も~多くの画家にも親しまれ ~

  [絵かきの町]としても超有名ですね. 

 『たびごころ もろくなり来ぬ。志摩はて安乗の崎に 燈の明り見ゆ』釈迢空

 「知るを楽しむ私のこだわり人物伝 折口信夫―古代から来た未来人(NHK) 

大王崎にある 灯台から 遥か彼方まで広がる海が見える.その灯台のそばから

中沢新一が折口信夫の(まれびと)の発見をめぐって話す.

二十代の折口が 伊勢.鳥羽.熊野大社.串本.田辺.和歌山と回る旅をした時の

体験が.のちに「妣(はは)が国へ・常世へ」 

「光り充つ真昼の海に突き出た大王が崎の尽端に立った時.遥かな波路の果に.

わが魂のふるさとのあるような気がしてならなかった.これをはかない 

詩人気どりの感傷と卑下する気には.今もってなれない.

これはこれ.かつては 祖々(おやおや)の胸を煽り立てた懐郷心の間歇遺伝と

して現れたものではなかろうか」 

[古代から来た未来人. 折口信夫] では「折口信夫のような 奇跡的な 学問を

なんとかして自分でもつくってみたいそれが 私をこれまで 突き動かして

きた夢だったような気がします」(中沢新一)

古代を実感することを通して. 日本人の心の奥底を開示した稀有な思想家

折口信夫.若い頃から彼の文章に惹かれてきた中沢新一は未来的な思想を

鮮やかに描き出しています. 

              「まれびとの座」折口信夫と私 (池田彌三郎) 

[妣が国へ.常世へ 異郷意識の起伏 折口信夫 折口信夫師の「妣が國へ.常世へ]

未だ 偶生には 理解できない点が多々ありますが~太平洋の荒波が寄せる

岸壁の先端.志摩半島 東南端.波切の [大王が崎]

志摩はてを眺め 感無量になった次第です. 

                (真珠筏や 美しいリアス海岸) ⇒英虞湾! 

G7伊勢志摩サミット(2016)の 会場で(志摩観光ホテル)~自然に溶け込む

風格が~造形は竣工当時のままで銅板葺きの屋根の緑青色が 歴史を感じさせ

志摩観光ホテルに定宿の 山崎豊子さんが 小説 [華麗なる一族]の 執筆にも

使われたデスクも展示されています. 

紺碧の 英虞湾を眺め 16世紀のスペイン帆船型遊覧船「エスペランサ」

乗って優雅で快適な150分のクルーズも一興ですね. 


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2023/01/18

『敷島の大和心を人問わば.朝日ににおう山桜花』(豪商のまち伊勢松阪[本居宣長]⇒志摩半島東南端.大王崎[折口信夫]⇒リアス海岸.紺碧の英虞湾巡り (PART Ⅰ)

 

紀伊半島の南.吉野熊野国立公園大台ヶ原」日本の秘境100選.日本百名山) 

恵まれた多量の雨が 湿潤な 気象条件を生み出し 日本を代表する 原生林.

貴重な 動植物の楽園花の百名山にも選出されています. 

大台ヶ原の 最高峰[日出ヶ岳] [大蛇嵓]

渓谷の美しさが堪能出来る⇒[シオカラ谷吊り橋]


幻想的なトウヒの立ち枯れが続く[正木ヶ原.牛石ヶ原] 



*冬季の大台が原.山頂.鮮やかな霧氷の東大台 

      遥か彼方の熊野灘を望む [神武天皇像]を拝し~ 

大蛇嵓→日出ヶ岳→渓谷シオカラ谷橋→七ッ釜滝・大杉谷登山コースを

桃の木山の家に泊まれず.急な降雨.トレッキングの先輩諸兄のテントに~ 

七ッ釜滝.渓谷美を堪能し辿り着いたのが天正16

      (蒲生氏郷.築城の 野づら積が豪壮な『松坂城址』 

本居宣長記念館も近い二の丸から[御城番屋敷]

眼下にし.本居宣長弁当ならず 山小屋の(おにぎり)を同行の学友等と賞味した

頃が走馬燈の様に蘇って来ます~あの頃から数回. 松阪を訪ねています. 

『近江商人と伊勢松坂商人』令和525日迄 豪商のまち松阪.観光交流センター  

(松坂商人.近江商人)紹介.DVD放映.松阪もめんのお雛様展示.

近江商人ゆかりの地. 近江八幡.東近江市.日野町の物産販売スタンプラリー

[押印場所]  旧小津清左衛門家.旧長谷川治郎兵衛家.松阪市立歴史民俗資料館.

原田二郎旧宅 

      『古事記』を読めば古の時代の人々の姿が見える(本居宣長記念館)

      冬の企画展 [宣長と春庭]催されています.(3月5日迄) 

国学者.[本居宣長]の息子として誕生した [春庭]  盲目ながら周囲の手を借り.

動詞の活用形を研究.29歳のときに眼病を患い32歳で失明します.

.宣長の指導のもと.書写を楽しむ若き日々.病を患い 辛く苦しい眼病治療.

春庭の緻密で実証的な学問⇒父宣長の継承でもあり宣長亡き後の

言語学者としての開花!

現在も学生達が学ぶ『動詞の活用形』~諦めなかった宣長と春庭] 其々を

支えた人々が歩んだ八衢(やちまた)な道等が 紹介されています. 

      『敷島の大和心を人問わば.朝日ににおう山桜花』 

伊勢松坂の豪商.小津家の出身『国学の四大人』『本居宣長』~[荷田春満.

賀茂真淵.平田篤胤]    自宅の鈴屋にて門人を集め講義~『鈴屋大人』 

本居宣長 12歳から72歳で没するまで60年間 暮らした[本居宣長旧宅

元禄4(1691松阪職人町に建てられ.魚町に移築されました

明治42.保存の為 [松坂城跡]の現在地に移築 

宣長が 医療活動をした[店の間][仏間] 講釈や歌会に使用し~(二階の書斎)

 「鈴屋」


 書斎の名前は.部屋に掛けられた柱掛鈴に因む.その披露の会で詠まれた 

長歌の左注に「鈴の屋とは. 三十六の小鈴を赤き緒にぬきたれては

しらなどにかけおきて物むつかしきをりをり引なしてそれが音をきけ 

ばここちも すがすがしくおもほゆ.そのすずの歌は.とこのべに.わが

けていにしへしぬぶ.鈴がねのさやさや.かくて此屋の名にもおほせつかし」

『鈴屋集 巻5』

これ以後.宣長の屋号として家集の表題や蔵書印.帳簿の裏表紙などにも使用.

本居宣長は『源氏物語』や『万葉集』中国の本も講釈し.夜も更けて皆が

帰った後.一人で『古事記』を解読『古事記伝』を~~

      (昭和28331.国特別史跡指定)      


『本居宣長』の 名言5

『外の義に心移し申さず.ただただ一筋に  医学修行専一にせよ』

『才のともしきや.学ぶことの晩おそきや. 暇のなきやによりて 

   思いくずおれて 止まることなかれ』

『かぎりを行うのが人の道にして. そのことの成ると成らざるとは 

   人の力のおよばざるところぞ』

『敷島しきしまの大和心やまとごころを人問わば 朝日ににおう山桜』

『人の情の感ずるとこ 恋にまさるはなし』 


(古典の文献研究)を通し 古道の探求を行い(大和心)とは 神の御心のままの

「惟神の道」[古道]と汚れのない「真心」古代に見られる[たをやめぶリ]

いう 女性らしさであり~(古事記・源氏物語)⇒(もののあはれ)に通じ

[敷島の大和心を人問わば朝日ににおう山桜花]詠み 

[もののあわれを 深く知る心情]大和心を求めたのでしょうか. 

『咲きにほふ 春のさくらの花見ては 荒らぶる神もあらじとぞ思ふ』(宣長) 

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