『天深く 春立つものの 芽を見たり』(加藤 楸邨)
(北の大地では3年ぶりに雪と氷の祭典さっぽろ雪まつり札幌市で開幕(11日迄)
大通公園と 繁華街 ススキノで高さ10m超の(大雪像)5基.ネオンに輝く(氷像)で
盛り上がっていますね [雪像100基]
雪像エリアにには 大谷翔平選手の雪像もあり 海外ネットは (ショーヘイ)
ならぬ {スノーヘイ}
大和盆地では『山焼きを見ないと新春が来ない』
東大寺の 神仏が習合し. 鎮魂.慰霊や防火⇒平和を祈る 古都.奈良の
[冬の風物詩]も無事終了しました
風雪に耐え.百花に魁て咲く(梅)の力強い生命力癒しと元気を与えてくれる
城下町.(大和郡山)に春を呼ぶ「盆梅展」が始まっています(3月12日迄)
第20回
大和郡山 盆梅展 ~3月12日[日曜日]迄
筒井順慶.築城の『郡山城』は⇒大和.和泉.紀伊三ヶ国.百万石の太守として
豊臣秀長[秀吉の弟]が大和(郡山城)に 入城したのが 天正13年(1585)
享保9年(1724) 柳澤吉里が甲府より郡山に国替え入城し 桜樹を補植し.
以来毎年 春の開花期には藩士.町民達の楽しみであったと伝えらる
郡山城は 内堀..堀.外堀という三重の堀に囲まれ 惣堀の構えを持ち.
城郭の中心部や武家地.城下町配置されていました
『城をやや 距たるからに 藪かすむ』(山口誓子)
(しだれ梅)を始め. 郡山城跡内に さまざまな梅があり.江戸時代「梅林門」と
呼ばれていた追手門に花をそえています.
郡山城跡の追手門.追手向櫓.多聞櫓を会場に開催される[大和郡山 盆梅展]
大和郡山市内の愛好家が丹精込めて育てた「盆梅」約120鉢
日本でもめずらしい[お城の櫓]の中で堪能でき 花の香りが漂う室内は
毛氈を敷き.金屏風を背に「悠妃.信玄」等 人気の盆梅が飾られています
盆梅展の期間には庭の しだれ梅 も咲き頃に~ [盆梅展]は大和郡山.
冬の風物詩となっています
『大和また 新たなる国 田を鋤けば』(山口誓子)
菅原道真公は身に覚えの無いない罪で突如左遷後に.朝廷でも無実が
証明され 人から神様の位に昇られた道真公は.太宰府天満宮に
永遠に鎮まり「学問の神様」「至誠の神様」として現代に至るまで
永く人々に敬われています
菅原道真公生誕の地.菅原天満宮(奈良)の(盆梅展) 早咲きから遅咲きまで
楽しめるよう.約130種200鉢を順次入れ替えて展示されています.
樹齢50~70年の盆梅が 中心ですが.~雲竜梅~八重咲きの白梅.
くねくねと折れ曲がる枝が特徴ですね.
菅原八宝梅~白.ピンク.紅色.八重や一重の梅8種が咲き.開花時期が
そろうよう接ぎ木.~
手前が雲竜梅枝がくねくねと折れ曲がっている
朱塗の回廊.王朝絵巻~『春日大社 節分萬燈籠』コロナ禍の影響で3年ぶりに
参拝者を迎えて境内の (燈籠)約3000基に 火がともされました.
平安朝の頃から庶民信仰が厚く藤原氏を始め 一般国民から奉納された
境内にある3000基!
萬燈籠--古いのは 釣り燈篭で藤原頼通の寄進した瑠璃燈籠(1038)
石燈籠では若宮社の南方にある藤原忠通の寄進した柚木燈籠 (1137)
また 飛火野横の参道には立派な2つの(大燈籠)がありますね!
午後5時頃.花山院弘匡宮司が 本殿前の燈籠に火をともしたのを合図に.
神職.巫女が 回廊内の釣燈籠約1000基に点火され. 境内では奉仕者が
石燈籠約2000基に火をともされ 約3000基! 全ての (萬燈籠)に
火が灯されました.
まるで 王朝. 幽玄の世界が繰り広げられ 本殿周辺は釣燈籠が並び朱塗の
回廊を照らし 恰も艶やかな平安朝の王朝絵巻の様ですね!
燈籠が整然と並ぶ 二ノ鳥居から神苑付近も《蝋燭の明かり》が大和.春日社の
[冬の夜]を照らし {幽玄の世界}が繰り広げられます
『萬燈籠』江戸時代末頃までは (常夜灯)油料の続く限り毎晩燈されました
また{雨乞祈願}にも万燈が行われた!との記録がある様ですね!
萬燈籠は明治維新後一時 廃止されたが 明治21年から再興され
『節分と御盆』の年2回 点火されています
近年は (中元萬燈籠)8月14日,15日
(節分萬燈籠)2月 節分日
節分萬燈籠.諸願成就の祈願祭で舞楽が奉納されますが2023年は中止!
[鹿紋様 しんしんと透き 万燈会] [杉の秀に オリオン星座 万燈会]
「節分万灯籠の思い出」(井浪 立葉)
『東より春は来ると植ゑし梅](高浜虚子)
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