『いかるがの わさだの くろに かりほして はに ねらす
らむ ながき ながよを』 (会津 八一)
歌集「鹿鳴集」に収載
会津八一は 冨本憲吉の生家. 奈良県の安堵村に窯を築いていた 富本を 大正10年頃に
訪ねていたのですね
秋艸道人.会津八一は大正13年(1924)最初の歌集 渾身の「南京新唱」を刊行.(奈良)は
京都からみて南の都ですから(南京)と呼称されています.
丸い窓絵の農家の挿絵風景紋様に類するも~大和の百姓屋.富本憲吉氏と記載されています
『富本憲吉展のこれまでとこれから] (奈良県立美術館)
昭和48年(1973)3月 竣工した 奈良県立美術館の開館を飾ったのは「富本憲吉展」
富本憲吉(1886~1963)は 奈良県が生んだ 近代陶芸の巨匠⇒奈良県立美術館は
1973年の開館以来「富本憲吉展」を延べ14回開催.15回目となり館蔵品100点余に人蔵や
文化庁. 国立工芸館.京都国立近代美術館. 石川県立美術館. 兵庫陶芸美術館等から
磁器を中心に180点の作品を展示しています.
東京美術学校(現東京芸大)図案科を卒業後.英国に留学.帰国後.陶芸家バーナード.
リーチとの交流を機に自宅裏に窯を造って陶芸の道に進む.
大和.安堵時代(1913~26) 東京時代(26~46)京都時代(46~63)と呼ばれ [大和時代]は
独学で楽焼から土焼.白磁.染付と作域を広げていった.
初期の展示作品に『楽焼葡萄模様鉢』(1913年) 『楽焼草花模様蓋付壺』(14年)等.
大和時代の作品には素朴な文様のものが多く~
東京時代には九谷焼の窯元で色絵磁器の研究.制作に没頭.以降 華やかな色絵の作品を~
『色絵木蓮模様大皿』(1936年)の底面には「於九谷 試作」の文字. 富本の 作陶人生で
大きな転換点となった作品の一つといわれ 東京時代には蔓草のテイカカズラの花から
四弁花の連続模様も創作.
代表作に『 色絵四弁花更紗模様六角飾筥』『色絵金銀彩四弁花文飾壷』1960年)等々~
『帽子 すこし曲げかぶるくせ 秋の風』 (久保田万太郎)
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