山禽叫斷夜廖廖 限無春風恨未銷
露臥延元陵下月 滿身花影南朝夢
{芳 野 懐 古} 河野鐵兜
奈良 芳野行を決行致しましたのは
やはり盛唐の三詩人と称せられる 詩佛
王維の言う 自寛---詰まり 世事浮雲
何ぞ問うに足らん--こんな 自寛
(時空を超越し 寛とした気持) 精神を
満喫致したいものだと考えた次第です
小生にとっては 久しぶりの
吉野行ですが 以前は
{落花深き処 南朝}を説く
{落花深き処 南朝}を説く
吉野の古老の迫力に圧倒され
長柄も梁川星巌・河野鉄兜
藤井竹外~この三人の大人達の
{芳 野 懐 古} を互いに
吟詠した時もありました
長柄も梁川星巌・河野鉄兜
藤井竹外~この三人の大人達の
{芳 野 懐 古} を互いに
吟詠した時もありました
{蝉時雨}と{鶯の谷渡り}が交差する
{四阿}での独吟となりました
古陵松柏吼天飆 山寺尋春春寂寥
眉雪老僧時輟帚 落花深處説南朝
{芳 野 懐 古} 藤井竹外}
蔵王堂
金峯山寺--奈良県吉野町にある修験道系の
仏教寺院で開基は 役小角と伝えられ
本堂(蔵王堂)(国宝)山上ヶ岳の大峯山寺本堂
「山上の蔵王堂」に対し山下の蔵王堂と呼ばれ
屋根は入母屋造檜皮葺き
2階建ての様に見えるが構造的には
「一重裳階(もこし)付き」です
豊臣家の寄進で再興されたもので
扉金具の銘から天正19年(1592年)の建立
高さ34メートル 奥行 幅ともに36メートル
木造建築としては 東大寺大仏殿に次ぐ規模を
持つと言われ豪壮な建築で珍しいチャンチン材の
柱が太く原木の曲がりを残した自然木に近い柱が
使われていることが特色です
内陣には巨大な厨子があり 本尊として3体の
巨大な蔵王権現像(秘仏)を安置しています
また南北朝時代には南朝の中心地でもあり---
「金峯山」とは 単独の峰の呼称ではなく
吉野山(奈良県吉野町)とその南方20数キロの
大峯山系に位置する山上ヶ岳(天川村)を含む
山岳霊場を包括した名称でありました
吉野・大峯の霊場は 和歌山県の高野山と
熊野三山及びこれら霊場同士を結ぶ
巡礼路とともに 世界遺産
「紀伊山地の霊場と参詣道」の
構成要素となっています
如意輪寺
如意輪寺は 奈良県吉野町にある
浄土宗の寺であり山号は塔尾山
本尊は如意輪観音 本堂の背後には
足利尊氏により京を追われ
吉野の地で崩御された
後醍醐天皇の陵・塔尾陵はあまりにも有名です
淋しさに また銅鑼打つや 鹿火屋守 原 石鼎
深吉野の 森閑とした闇のなかで [鹿火屋守]が
淋しさに耐えかねて銅鑼を打ち鳴らしたと
想定されますね!原石鼎師が大正時代に作句した
この名句が残されています
*{鹿火屋}--田畑を 鹿や猪に荒らされない為に
夜間獣が嫌う臭いものを燻らせた小屋のことを
言ったそうです
登高 芳野行等 My Web Log にて
既に 吉野山は紹介致しております
登高 芳 野 行《酒 酌 裴 與 迪 王維》
(2008 10/18)
萬山--白山桜 芳 野 {七曲り} {上千本}
間もなく 満 開 (2008 4/13)
南 朝 天 子 御 魂 香 (2007 4/18)等々
國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波
加萬目立多都 怜憾國曽 蜻嶋 八間跡能國者
天皇登香具山望國之時御製歌
大和には 郡山あれど とりよろふ 天の香具山
登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立つ立つ
海原は 鴎(かまめ)立つ立つ うまし国そ
蜻蛉島 大和の国は (萬葉集 巻 第一 弐)