2009/04/10

『若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』---唐招提寺 開山堂で詠う 芭蕉

若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』~~
唐招提寺 開山堂で 鑑真像を 拝み詠う 芭 蕉

鑑真和上天平宝字七年(763) 五月六日
結跏趺坐し西に面し七十六年間の生涯を終えらましたが--
弟子 忍基は講堂の棟や梁のくじける夢を見て鑑真和上の
遷化近いこと予感---高80㎝ 脱活乾漆造り---
やかな微笑--眼許からにかけて感じられる
強い意志-そんな和上の像を刻んだと言われて
いますね! 筋骨逞しい体膈--する人々のに迫り
まり返っている盲いた二つの眼~~鑑真和上坐像




鑑真和上が亡くなってから
九百年後--元禄元年四月
芭蕉は唐招提寺 鐘楼の
北側の鑑真往坊跡に建てられていた
開山堂鑑真像んで~~~
葉して 御目の雫 拭ぐはばや』と詠った作品ですね!

芭蕉は鑑真像のいた双の眼に 露わならぬ悲しみを--
を感じとり-----辺りは若葉で埋まっているが
その若葉御眼の涙をぬぐって差し上げたい---
そんな気持ちが伝わってきます
いたを持って日本に渡って来られた鑑真像を拝し---
かにじられている二つの眼に打たれますね!






天平の甍』の著者 井上靖は『おん目の雫』と題する著述で
芭蕉の句について-----「芭蕉は鑑真像の 盲いた双の眼
それとわならぬしみを を感じ取ったのである」
天平8年前後は鑑真にとっては最も苦しい時期であった
その苦しい時期のことを思い出す度に
必ず榮叡祥彦の二人は 鑑真の瞼の上に
浮かんできたに違いないと思う
そして その都度 鑑真の盲いた眼
何ものでも拭うことができぬ
あったことであろうと思う---芭蕉はその若葉
ぬぐって差し上げたいと思うたのである」---(井上靖)




国宝 鑑真和上展   NARANATIONAL MUSEUM

奈良国立博物館で「国宝 鑑真和上展」が 
5月24日迄 開催されています 
国内最古の肖像彫刻である鑑真和上(688-763)坐像や
金堂の鴟尾及び--和上の出家から渡日,遷化までを描いた
東征伝絵巻》(国重要文化財)等々が 公開されており 
天平の甍)》~~鑑真和上創建の
唐招提寺の金堂が約10年かけ 平成の大規模な
解体修理が終了した記念の展覧会とも言われていますね!

出陳品約70件で---主な出陳品は以下の通りですが---
特に鑑真和上坐像は唐招提寺御影堂の厨子に安置され
年に数日だけしか公開されていませんね!

鑑真和上坐像 1躯 金亀(きんき)舎利塔 (1基)
梵天立像 (ぼんてんりゅうぞう) 1躯
帝釈天立像 (たいしゃくてんりゅうぞう) 1躯
四天王立像 4躯 勅額 1面
東征伝絵巻 (とうせいでんえまき) 2巻
戒律伝来記 (かいりつでんらいき)上巻 1巻
金堂鴟尾 (こんどうしび) 2箇


期間中には以下の先生方による公開講座が開催されます
4月11日 「共結来縁」 松浦俊海
(律宗総本山唐招提寺長老)
4月18日 「鑑真和上と日本文化」 東野治之(奈良大学教授)
4月25日 「鑑真和上の教え」 西山明彦
(律宗総本山唐招提寺執事)
5月9日 「唐招提寺金堂の当初復原案―-解体調査より
判明したこと」 田中泉(奈良県文化財保存事務所主査)
5月23日 「鑑真和上像と唐招提寺の仏像」 
稲本泰生(奈良国立博物館学芸部企画室長)



鑑真和上
{渡来した時は見えていた--}?
     失明は渡来の6年後?

禅定印を組んで 瞑想されている--
鑑 真 和 上目は固く閉じられているが--渡来から入寂まで10年近くあり
到着時の様子と同じとは言えない---奈良国立博物館の西山厚
学芸部長が「渡来した時は見えていた」との見解を---
国宝鑑真和上展」で披露した
鎌倉時代の伝記絵「東征伝絵巻」には---目をはっきり開いた
鑑真和上が描かれており~~難破して洋上に漂う姿は勿論
渡来後の描写にも不自由さは感じられない~~~
失明を記した「唐大和上東征伝」(奈良時代)-----
西山部長は「文学的要素が多く100%事実か考える必要がある」と話す
正倉院に伝わる「鑑真奉請経巻状」~渡来の年--東大寺の良弁僧正に
経典の借用を申し入れた書状で 署名がある~~~
西山部長は (1)弟子の代筆 (2)見えないが書けた
(3)目が見えていた-----

これらの三つの可能性を検討~~
(1)の場合 署名が行書の続け書きで日付の方が大きく
「鑑真の署名に何の思いも入っていない---
カリスマ的指導者の名前をこれほど軽やかに書けない」~
(2)は 「部」の最終角の長さが余白に応じて異なり---
四行目の「部」はいったん筆を上げて書き直している
見えなければ困難な書き方で 可能性はないと言う~~
華厳経を「厳経」と略したこと等~~
「目が見えていた鑑真和上の自筆」と考えれば説明がつく---
「断定はできないが (1)(2)に比べて可能性はずっと高い---
目が次第に悪くなっていたのは本当だと思うが---
完全に 失明したのは渡来から6年後 僧綱の任を
解かれた頃ではないか」と話していますね!

確かに伝記絵 {東征伝絵巻}に描かれた~~
渡来時の 鑑真和上は 目は開いておられますが~
小生は~{博物館}の--眼前で拝む--国宝 鑑真和上座像
6度(12年間)にも及ぶ 多難な渡航を乗り越え~
盲いた眼日本に渡って来られとされている和上---
静かに閉じられている二つの眼鑑真像を拝し---
井上靖は 『天平の甍』『おん目の雫』と題する著述で
芭蕉の句について-----「芭蕉鑑真像盲いた双の眼
それと露わならぬ悲しみを 涙を感じ取ったのである
感極まり~~感慨無量になりました



12年6度にも及ぶ
多難渡航を乗り越えて~
より来日され----
悠久時空を越えて
瞑想される名僧 鑑真和上--日本最古の 肖像彫刻
[国宝・鑑真和上坐像]を 奈良国立博物館で拝し乍
天平仏教美術の数々の至宝出会う事が出来た
亦と無い絶好の機会でした   謝!  


{山牧水} 

水楢の柔き嫩葉(わかば)はみ眼にして
花よりもなほや白う匂はむ」 
 
盲ひてなお浄慧(じょうえ)の人は明らけし
面もちしろく春を寂びてぞ」 
   
み眼は閉ぢておはししかなや面もちのなにか
湛へて匂へる笑を


{会津八一} 

大寺のまろき柱の月かげを
土に踏みつつものをこそ思へ

 

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