2013/06/08

{鑑真和上}1250年忌~御目の雫 拭ぐはばや~   {お身代わり像}入堂~大和西の京.唐招提寺

『若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』

大和 唐招提寺開山堂で{鑑真像}
           拝み詠う  { }
 
『盲ひてなお浄慧の人は明らけし
  面もちしろく春を寂びてぞ』{若山牧水}

遥か{}より六度.12年間にも及ぶ 多難な
渡航乗り越え~日本僧の栄叡.普照
要請されて来日~悠久の時空を越えて 
瞑想される名僧 {鑑真 和上}


{鑑真和上}1250年忌~鑑真和上坐像(8世紀)
模造した{お身代わり像} {開眼法要}

65日営まれ 唐招提寺.石田長老
世の中の平穏を願い{慶讃文}が読み上げられ
舞楽の奉納や献茶が催されていました
{お身代わり像}は御影堂や鑑真の墓所
開山御廟を通って開山堂に安置されました


開山堂に安置された{お身代わり像}
 67日から一般に公開され{国宝像}
御影堂9日まで特別公開されています

この{お身代わり像}は京都・美術院国宝
修理所が 天平時代の彩色を再現
黒っぽい色を重ねる古色仕上げを行い
平成2212月から2年半かけて制作
された労作ですね!
{開眼法要を終えてほっとしました
本物と同じく千年後は貴重な文化財
見なされる様 持てる技術をつぎ込みました}
美術院国宝修理所.藤本青一所長()

大寺の まろき柱の 月かげを
  土に踏みつつ ものをこそ思へ    会津 八一 

『若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』
 唐招提寺 開山堂で鑑真像を拝み詠う 

鑑真和上が 天平宝字七年(763)  56
結跏趺坐し 西に面し七十六年間の生涯を
終えらましたが 弟子 忍基は講堂の棟や梁の
くじける夢を見て 鑑真和上の遷化近いこと予感
80 脱活乾漆造り穏やかな微笑--眼許から
顎にかけて感じられる強い意志--そんな和上の
像を刻んだと言われていますね!
筋骨逞しい体膈---拝する人々の心に迫り
静まり返っている盲いた双つの眼{鑑真和上坐像}


鑑真和上が亡くなってから 九百年後---元禄元年四月
芭蕉は唐招提寺 鐘楼の北側の鑑真の往坊跡に
建てられていた開山堂で鑑真像を拝んで
『若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』と詠った作品
芭蕉は鑑真像の盲いた双の眼に露わならぬ悲しみ
涙を感じとり----辺りは若葉で埋まっていて
その若葉で御眼の涙をぬぐって差し上げたい
そんな気持ちが伝わってきますね!
盲いた眼を持って日本に渡って来られた
{鑑真像}を拝し静かに閉じられている双の眼
打たれますね!


『天平の甍』の著者 井上靖は
『おん目の雫』題する著述で
芭蕉の句について
「芭蕉は鑑真像盲いた
双の眼に それと露わならぬ
悲しみを 涙を感じ
取ったのである」
{天平8年前後は鑑真に
とっては最も苦しい時期あった 
その苦しい時期のことを思い出す度に
必ず榮叡と祥彦の二人は鑑真の瞼の上に
浮かんできたに違いないと思う 
そして その都度 鑑真の盲いたは何ものでも拭うことができぬ涙で
あったことであろうと思う---芭蕉はその涙を若葉でぬぐって差し上げたい
と思うたのである}(井上靖)


{若山牧水} 
「水楢の柔き嫩葉(わかば)はみ眼にして
    花よりもなほや白う匂はむ」  

「盲ひてなお浄慧の人は明らけし
        面もちしろく春を寂びてぞ」    

{会津八一} 
「大寺のまろき柱の月かげを
        土に踏みつつものをこそ思へ」

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