2022/06/10

(日本の自然.豊かな 海と山~《濤声》《山雲》~ (唐招提寺御影堂障壁画)~水楢の柔き嫩葉は み眼にして花よりも~[鑑真和上.東山魁夷.唐招提寺](PART Ⅱ)

 津軽地方から 秋田へ. 能登半島を経て 山陰路へ 障壁画を依頼された 

巨匠(東山魁夷)写生の旅に出たのは ほぼ半世紀前の 冬

鑑真和上の像を 安置する 御影堂のメインの空間を 荒々しい

波と岩で 厳かに飾ろうとした

10年に及ぶ 6度目の挑戦で 来日を果たした鑑真和上は既に

失明していた 鑑真は 日本の海原を見ることは かなわなかった

に違いない.  岩を砕き.打ち寄せる波の姿は高僧の揺るがぬ

意志を讃えているように思える~(一部 春秋 

(鑑真和上坐像(国宝)を安置する奈良市五条町 唐招提寺 御影堂 (国重要文化財)

江戸時代に興福寺一乗院として建立.明治以降は県庁.裁判所に~

鑑真和上 1200年忌事業として 唐招提寺の境内に移築されました

御影堂は平成の大修理が終わり.落慶法要が営まれ.鑑真和上坐像の厨子や 

東山画伯のふすま絵 (唐招提寺御影堂障壁画  [濤声]等が 戻されました! 

*鑑真和上坐像の厨子東山画伯 ふすま絵が戻された唐招提寺御影堂(奈良新聞)


 幾多の困難を乗り越えて 失明しながらも6度目の渡航で来日された鑑真和上

讃仰と崇敬の念を込め日本の理想的な自然としての [海と山]《山雲.濤声》

鑑真が 日本で見たかったであろう風景を東山魁夷が抽出して描いたものと

思慮されますね!

      戦後を代表する日本画家・東山魁夷芸術の集大成!

《唐招提寺 御影堂 障壁画》とも言えますね! (唐招提寺御影堂障壁画)

取り組む かたわら制作された 連作「白い馬の見える風景」

障壁画の構想段階で巡った 大和路を題材とする「大和春秋」や 障壁画の 

水墨表現の為 弛みない 研究の道程である「桂林月夜」や「黄山雨過」等

(唐招提寺御影堂障壁画)をめぐる 東山魁夷画伯の深い思索に感銘を受け 

鑑真和上の遺徳を偲び乍ら 障壁画の色彩表現に魅せられたものです 

*唐招提寺より《お知らせ》 (2022.06.11)

令和4年度開山忌記念講演会の動画を.唐招提寺のYouTubeチャンネルに

公開どうぞご高覧下さい

動画題目:令和4年度  開山忌記念講演会

 講師:茨城県近代美術館 館長 尾崎正明様

 演題:東山魁夷画伯と唐招提寺

動画URL: https://youtu.be/RaDVi_IDp-8 

『夏霧や 魁夷の白馬 木の間より』(松本素子)

『塵なきを 掃く学僧や 鑑真忌』 (肥田埜勝美) 


唐招提寺.(開山堂)の北側~(御影堂)に対面して[北原白秋の歌碑]があります

(水楢の柔き嫩葉は み眼にして花よりもなほや白う匂はむ) 

(白秋は晩年.糖尿病と腎臓病による 眼底出血の為に入退院をくり返していた

視力が落ちていき.ぼんやりした 薄明の世界に投げだされて 生きなければ

ならなかったのである) 五木寛之 [百寺巡礼第一巻 奈良]  

白秋は 昭和11年に唐招提寺で鑑真和上坐像と対面し 眼を患った自身と 

(鑑真和上)に重ね 和上への思いを 『水楢の 柔き嫩葉は み眼にして

花よりも なほや白う匂はむ~と詠ったのではないでしょうか! 


『おほてらの まろき はしらの つきかげを

        つちに ふみつつ ものをこそ おもへ』(会津八一)  

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