2014/06/01

{観音の千手の中に筆もたす~『若葉して 御目の雫拭ぐはばや』~唐招提寺~ {うちわまき}

大寺の まろき柱の 月かげを
  土に踏みつつ ものをこそ思へ    会津 八一 

『若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』
 唐招提寺 開山堂で鑑真像を拝み詠う 

鑑真和上 天平宝字七年(763) 56
結跏趺坐し 西に面し七十六年間の 生涯を
終えらましたが 弟子 忍基は講堂の棟や梁の
くじける夢を見て鑑真和上の遷化近いことを
予感!~80 脱活乾漆造り穏やかな微笑!
眼許から顎にかけて 感じられる 強い意志!
そんな和上の像を刻んだと言われていますね!
筋骨逞しい体膈---拝する人々の 心に迫り
静まり返っている盲いた双つの眼{鑑真和上坐像}
鑑真和上が亡くなってから九百年後---元禄元年四月
芭蕉は唐招提寺 鐘楼の北側の鑑真の往坊跡に
建てられていた開山堂で鑑真像を拝んで
若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』と詠った作品
芭蕉は鑑真像の盲いた双の眼に露わならぬ悲しみ
涙を感じとり----辺りは若葉で埋まっていて
その若葉で御眼の涙をぬぐって差し上げたい
そんな気持ちが伝わってきますね!
盲いた眼を持って日本に渡って来られた{鑑真像}拝し
 静かに閉じられている双の眼に打たれますね!
 天平の甍』の著者 井上靖は『おん目の雫』と
題する著述で芭蕉の句についてこの様に書いています
「芭蕉は鑑真像の 盲いた双の眼に それと露わならぬ
悲しみを 涙を感じ取ったのである」
{天平8年前後は 鑑真にとっては最も苦しい時期であった 
その苦しい時期のことを思い出す度に必ず榮叡と祥彦の二人
鑑真の瞼の上に浮かんできたに違いないと思う 
そして その都度 鑑真の盲いた眼は 何ものでも拭うことが
できぬ涙であったことであろうと思う---芭蕉はその涙を 若葉でぬぐって
差し上げたいと思うたのである}(井上靖)
{若山牧水} 
「水楢の柔き嫩葉(わかば)はみ眼にして
          花よりもなほや白う匂はむ」

「盲ひてなお浄慧の人は明らけし
            面もちしろく春を寂びてぞ」 
{梵網会}~唐招提寺 うちわまき・舞楽{振鉾}{陪臚}{納曽利}
 鎌倉時代~唐招提寺 中興の祖~大悲菩薩覚盛上人
蚊も殺さないほど不殺生を貫いた上人を讃えて
大和.法華寺の尼僧たちが うちわを供えたことに始まるとされます
{ハート形の宝扇}うちわまき」~五月十九日に{梵網会}
行われました
国宝.鼓楼の上から僧侶4人が 鐘の合図に合わせ{うちわ}
2.3本ずつ計400本!~厄よけを願う多くの 参拝に来られた
人達は歓声を上げながら舞うハート形のうちわに競い合って
手を伸ばしておられましたね!
 観音の千手の中に筆もたす
        み手一つありき涙す我は 白秋

観世音像千手の指のことごとに
       眼坐しにき清みかがやかに 白秋

中興忌梵網会 法要~前庭では 舞楽奉納南都晃耀会により 舞楽
{振鉾}{陪臚}{納曽利}奉納が 催されました

大寺の まろき柱の 月かげを
               土に踏みつつ ものをこそ思へ     会津 八一 
LINK  Lucky PAL (PAL is My Family)