2011/07/28

露臥延元陵下月~{蝉時雨}の《 芳 野 》行

山禽叫斷夜廖廖 限無春風恨未銷
露臥延元陵下月 滿身花影南朝夢
{ } 河野鐵兜

奈良 芳野行を決行致しましたのは
やはり盛唐の三詩人と称せられる 詩佛
王維の言う 自寛---詰まり 世事浮雲 
何ぞ問うに足らん--こんな 自寛  
(時空を超越し 寛とした気持) 精神
満喫致したいものだと考えた次第です




小生にとっては 久しぶりの
吉野行ですが 以前は
{落花深き処 南朝}を説く
吉野の古老の迫力に圧倒され
長柄も梁川星巌・河野鉄兜
藤井竹外~この三人の大人達
{ } を互いに
吟詠した時もありました
{蝉時雨}{鶯の谷渡り}が交差する
{四阿}での独吟となりました


古陵松柏吼天飆 山寺尋春春寂寥 
眉雪老僧時輟帚 落花深處説南朝
{ } 藤井竹外}


蔵王堂

金峯山寺--奈良県吉野町にある修験道系の
仏教寺院で開基は 役小角と伝えられ
本堂(蔵王堂)(国宝)山上ヶ岳の大峯山寺本堂
「山上の蔵王堂」に対し山下の蔵王堂と呼ばれ
屋根は入母屋造檜皮葺き
2階建ての様に見えるが構造的には
「一重裳階(もこし)付き」です
豊臣家の寄進で再興されたもので
扉金具の銘から天正19年(1592年)の建立
高さ34メートル 奥行 幅ともに36メートル
木造建築としては 東大寺大仏殿に次ぐ規模を
持つと言われ豪壮な建築で珍しいチャンチン材の
柱が太く原木の曲がりを残した自然木に近い柱が
使われていることが特色です
内陣には巨大な厨子があり 本尊として3体の
巨大な蔵王権現像(秘仏)を安置しています
また南北朝時代には南朝の中心地でもあり---
金峯山」とは 単独の峰の呼称ではなく
吉野山(奈良県吉野町)とその南方20数キロの
大峯山系に位置する山上ヶ岳(天川村)を含む
山岳霊場を包括した名称でありました

吉野・大峯の霊場 和歌山県の高野山と
熊野三山及びこれら霊場同士を結ぶ
巡礼路とともに 世界遺産
紀伊山地の霊場と参詣道」の
構成要素となっています

如意輪寺

如意輪寺 奈良県吉野町にある
浄土宗の寺であり山号は塔尾山
本尊は如意輪観音 本堂の背後には
足利尊氏により京を追われ 
吉野の地で崩御された
後醍醐天皇の陵・塔尾陵はあまりにも有名です


淋しさに また銅鑼打つや 鹿火屋守 原 石鼎

深吉野の 森閑とした闇のなかで [鹿火屋守]
淋しさに耐えかねて銅鑼を打ち鳴らしたと
想定されますね!原石鼎師が大正時代に作句した
この名句が残されています
*{鹿火屋}--田畑を 鹿や猪に荒らされない為に
夜間獣が嫌う臭いものを燻らせた小屋のことを
言ったそうです 

登高 芳野行等 My Web Log にて
既に 吉野山は紹介致しております 
登高 行《酒 王維》 
(2008 10/18) 
萬山--白山桜 {七曲り} {上千本}
間もなく (2008 4/13) 
(2007 4/18)等々


 山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立
國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波
加萬目立多都 怜憾國曽 蜻嶋 八間跡能國者
天皇登香具山望國之時御製歌

大和には 郡山あれど とりよろふ 天の香具山
登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立つ立つ 
海原は 鴎(かまめ)立つ立つ うまし国そ
蜻蛉島 大和の国は (萬葉集 第一 弐)

2011/07/01

{夏越の 祓い}~水無月祓~千歳の生命延といふなり 


{水無月の 夏越の祓する人は 千歳の命 延~}(陰暦 六月晦日)

古歌 {水無月の夏越の祓する人は 千歳の命 延と
いうなり~}を朗詠し乍「茅の輪」を潜ると
夏の疫病や災厄から免れ~この一年を 災難 無く
過ごさせて頂く戴く~ 御祓「夏越しの大祓」は
奈良朝に宮中で始まり 例年全国各地の
神社・仏閣でも営まれていますね!

{水無月の 夏越の祓する人は 千歳の生命
延といふなり~(【公事根源】一条兼良

東大寺では{盧舎那仏}の前に茅草で作った
直径約2m{茅の輪}が設けられ~除疫病
祈る{夏越しの祓い}に由来する法要~{東大寺
解除会}月遅れの7月下旬に行われていますが
殆どの神社・仏閣では 陰暦六月晦日に
「夏越の大祓」が行われています


京都の多くの神社でも 
六月晦日に{夏越神事}
行われ~京の夏の風物詩と
されていますが~
{天神さんの日}夏本番の前
{大茅の輪くぐり}の神事が
菅原道真の{御誕辰祭}
6.25日に{夏越の神事}
行われていますね!
酷暑を無事に越すことを
願い~{夏越天神}
夏本番を前に
茅の輪をくぐり
{茅の輪}{智の輪}」にも
通じると言われていますね!

小生 例年元朝詣の 春日社の{夏越 大祓式}
午後3 二の鳥居の近くにある祓戸神社で行われ
春日参道には直径約2㍍の立派な{茅の輪}が設けられ
神官に続いて参列者が次々とくぐり
皆さんが無事の{夏越}
祈っておられました
身についた罪や穢れを祓い去り
無事に夏を乗り切れる様にと
祈願する神事とされていますね!

春日大社では3月16日から
大祓詞 {祝詞}1萬回になるまで唱える
{万度祓}を 毎日続け~
先日(2011 6.29-30)花山院弘匡宮司が
 {采女祭り}で 縁が深い福島県郡山市を訪ね
{復興祈願祭国家鎮護・災厄よけの祝詞
唱えておられましたね!

往馬大社~{夏越の大祓}
氏神様(小生の)とも言える往馬大社の
{夏越の大祓}~拝殿で神事.この半年間に
知らず知らずに犯した罪や穢れを~渡された
人形にうつしておられます
{天つ菅麻を本刈り断ち 末刈り切りて
瀬織津比売が大海原に持ち出でなむ・{祝詞}
祓戸社でお祓いと祝詞奏上~晒を張り切り裂く

往馬大社の{茅の輪くぐり} 高座の横で行われ
宮司を先頭に《水無月の 夏越の祓する人は
千年の命 延というなり~》茅の輪をくぐり乍
暑い夏を無事に乗り越えられる様と参拝の
皆さんが祈願されています

布留 石上神宮 {神剣渡御祭(でんでん祭)}
小生の故郷 布留 石上神宮では
{神剣渡御祭}例年~神剣が
境内の神田神社へ渡る
{でんでん祭}~例祭の後に
{御田祭り}~お田植神事が行われ
夕刻には布留 本社にて
{夏越の祓}が行われます

神剣を先頭に~古歌を朗詠し乍
{茅の輪くぐり}参列者が
一列になって行われ~
{茅の輪}{御田祭り}
{早苗}は参列者が少しずつ持ち帰り
暑い夏の無事御祓いで災難無く
過ごせるように祈願されています


柿本人麻呂 歌塚・和邇下神社~{夏越の大祓}
当時の官道~{上ツ道}と龍田から伊賀へと延びる
治道 横田道~要衝に鎮座する~和邇下神社

和邇下神社の{祇園まつり} 当日に境内では
{茅の輪くぐり}が催され~また 櫟本小学校
校庭では{円筒埴輪の燈火会} 同時開催
学校の屋上から{燈火会}を観賞~打ち上げ
花火も有り~多くの露店が出る~祇園まつり
賑わう参道に 家族と伴に加わり 楽しい
ひと時を過ごしました(2011 7.13)

大和 大神神社では{大祓みわの茅の輪神事}
拝殿前の斎庭には三つの茅の輪で作られた
{みわの 茅の輪}が設置され~{大祓みわの
茅の輪神事}祈祷殿前斎庭にて祭典
行われていますね!
{三つの輪}一般の参列された方々もこの輪を
くぐり~{夏越}を祈っておられます

遣唐使が旅立つ前には参拝していたと言われる
大和神社{夏越の大祓式・茅の輪くぐり}

大和 天川村の天河大辨財天社で{大祓式}

橿原神宮では神楽祈祷{夏越祈祷神楽}{大祓}
大祓式以降の穢れを祓い清める神事
この後半年間の無病息災を願う祈祷が
行なわれていますね!

《夏越の祓》迎える
{稲穂が実って来る月}{穂含月}

思ふ事 皆つきぬとて 麻の葉を 
切りに切りて 祓えつるかな 
(和泉 式部)

炎天を 槍のごとくに 涼気すぐ
 飯田 蛇笏

連日の様な{熱い夏}蛇笏師の
名句の如く「槍のごとくに涼気すぐ」
-皆さんも爽快に{夏越の祓}を迎えられた事かと思います

母の分の 一つくぐる 茅の輪かな  (一 茶)


水無月の 夏越の祓する人は 千歳の生命延といふなり--
(【公事根源】一条兼良 有職故実書著(室町中期)

左大辨葛城王等賜姓橘氏之時御製歌一首
橘者 實左倍花左倍 其葉左倍
   枝尓霜雖降 益常葉之樹
   萬葉巻6-1009番 聖武天皇

橘は 実さへ花さへ その葉さへ
      枝に霜降れど いや常葉の木