2015/06/05

{海の恩を 空で返そう!~紀州.串本~海難救助の{絆}~125年 平和.友好の Message!

ここは串本 向かいは大島
           橋をかけましょう 船橋を
一つ二つと 橋杭立てて 心とどけよ 串本へ

{弘法大師}{天の邪鬼}と串本から沖合いの
島迄 {橋を掛ける}ことが 出来るか否かの
賭けを行った!{弘法大師}が橋の杭を
殆ど作り終えたところで 天の邪鬼は
このままでは賭けに負けてしまうと思い
鶏の鳴き真似をして弘法大師にもう朝が来たと勘違いさせた
弘法大師は諦めて作りかけでその場を去り その為
{橋の杭} のみが 残ったという
 {橋杭岩~千五百万年前の火成活動により泥岩層の間に流紋岩が貫入!
貫入後に差別侵食により柔らかい泥岩部が速く侵食され硬い
石英斑岩が杭状に残されたもの! 
鬮野川小字橋杭の海岸から紀伊大島方面大小約四十の岩が
南西一列に850メートルもの長きに渡って連続してそそりそそり立ち
岩が立ち並ぶ姿が橋の杭の様に見えることから橋杭岩と呼ばれています
橋杭岩を通して見る素晴らしい朝日!日本の朝日百選に選定されています
 太平洋.紀伊大島を望む高台.石段の坂路を登り
{串本ロイヤルホテル}に宿泊!{望楼の芝}
180度拡がる水平線~南紀州.本州最南端行き
洒落込んだのが本年(2015)1月でした! 
その時{串本ロイヤルホテル}のロビーに屯する漁民姿の役者さん達!
思わず彼らに声をかけて見たところ~125年前に起こった串本
樫野崎沖で遭難~献身的な救助活動で69人の命が救われ
トルコの人々との{}~友情.真心を描いたエルトゥールル号の
遭難事故!~125.記念日本.トルコ合同制作映画~(海難 1890)
この映画(海難 1890)ロケーションに参加している
スタッフ. 漁民姿の役者さん達でした
 串本.田嶋勝正町長と大学の同級生.田中光敏監督が
献身的な救助に尽力した串本大島の島民の方々と
トルコの人々との{}友情.真心を描き製作!
{この映画のテーマは 真心と125年続いている友情
そこをしっかりと表現したい}~田中光敏監督()

「悲劇的な遭難事故の一方で当時の村人達の献身的な
救出活動があり.2国間の友情の始まりとなり 固い絆が結ばれている!
世界に広く知らしめるべき関係!そんな思いで取り組んでいる
エルトゥールル号海軍機関大尉 トルコ側の主役を演じる
ケナン.エジェさん{}   内野聖陽さん演じる医師の友人~海軍士官
小澤征悦さんも出演しています

町立大島小学校の児童らは毎年10~11月に
トルコ軍艦遭難慰霊碑》前を 清掃
映画(海難1890)に出演協力.児童等が慰霊碑を
元気に雑巾がけや芝生の雑草を抜いたりする場面も
撮影されていますね!
箒で掃除をした 5年生の男の生徒さんは
{毎年活動をやっていますが今日は緊張しました!
トルコと日本の友好の映画なので絶対見ます!}
 《和歌山県・串本町樫野崎沖で遭難(1890)

明治23(1890年9月16日)~明治天皇と謁見!帰国途中の
トルコの親善使節団らが 乗船した軍艦 {エルトゥールル号}
暴風雨に見舞われ和歌山県串本町沖の岩礁に乗り上げ沈没!

トルコ軍艦{エルトゥールル号} 乗組員の内 587人が犠牲になり!
紀伊大島の島民らによる献身的な救助活動で69人の命が救われました
救助されたトルコの親善使節団は金剛.比叡によって本国に無事に生還!
日本・トルコ平和.友好の絆が芽生えたとも言えますね!

日本・トルコの{}~友情は イラン・イラク戦争(1985)当時
トルコ政府による 日本人専用 救援機派遣により特別機を
飛ばした事でイラン. イラク戦争の戦場となったイランの首都
テヘランから邦人215人が無事に脱出することができました ね!

125周年 慰霊式典{平成2763}

余りにも風雨が強く{串本町文化センター}行われた慰霊式典!
5年毎に行われ来た 追悼式典は悪天候の為 {洋上慰霊式典}
余儀なく中止になりました!
{陸上慰霊式典}{殉難将兵慰霊塔前}から串本文化センターに
変更して行われました!
当初 現場付近の海域で遠来のトルコの軍艦「ゲディズ」 板上で
予定された洋上式典が中止になり式典会場が変更された様です

日本・トルコ協会総裁.三笠宮家.彬子女王殿下
トルコ議会からは ジェミル・チチェッキ議長
アフメット・ビュレント・メリチ 駐日トルコ大使等
多数の賓客が参列されました
トルコ人将兵を救出した住民の子孫らも参列
両国友好の礎を築いた 先人達の懸命な海難救助を後世に
伝えたいものだと決意を新たにされていました! 

『海の恩を空で返すとは粋なことをするな』{寛仁親王殿下}

三笠宮家.彬子女王殿下は『お一方お一方が懸け橋の担い手として 
新たな両国の歴史を紡ぎ続けていただければと願っております』
『両国の絆が1985年のテヘランにおける邦人215人の救出に
つながり 3年前にお隠れになった 父{寛仁親王殿下}
{海の恩を空で返すとは粋なことをするな}とおっしゃっていました
{
トルコでは学校の授業でもエルトゥールル号の事を教えてくれて
串本のみなさんも5年ごとにこのような事業をやってくれております
お集まりの皆様と一緒に先人たちの心を紡いで130周年~140周年と
心をつないでいきたいと思います』 

トルコ国防省からエルトゥールル号の銅像が贈られ除幕式!
{樫野崎を望むこの地に設置されエルトゥールル号の舳は樫野崎に
向けられています!
{日本語で「船出」という言葉には「出港」という意味の他に「新たな出発」
という意味があります!この銅像が日本とトルコの新たな友好の
船出となることを祈っております}(串本.田嶋勝正町長 談) 
エルトゥールル号の銅像は小生もお世話になった紀伊大島
樫野崎望む高台~{串本ロイヤルホテル}内に設置されています 


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