2010/05/15

『若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』---唐招提寺 開山堂で詠う~ 芭 蕉

大寺の まろき柱の 月かげを
      土に踏みつつ
     ものをこそ思へ    会津 八一 


若葉して
  御目の雫
  拭ぐはばや


唐招提寺
開山堂で-
鑑真像を
拝み詠う--


鑑真和上が 天平宝字七年(763)五月六日 
結跏趺坐し西に面し七十六年間の生涯
終えらましたが--弟子 忍基は講堂の棟や
梁のくじける夢を見て鑑真和上の遷化
近いこと予感---
80 脱活乾漆造---穏やか微笑--眼許から
顎にかけて感じられる強い意志-
そんな和上の像を刻んだと言われていますね! 



鑑真和上が
亡くなってから~
九百年後
 元禄元年四月
芭蕉は唐招提寺 鐘楼の
北側の鑑真の
往坊跡
建てられていた
開山堂で鑑真像を拝んで


『若葉して 御目の雫 拭ぐはばや』
詠った作品ですね!
芭蕉は鑑真像の盲いた双の眼 露わならぬ
悲しみを--涙を感じとり-----辺りは
若葉で埋まっているが その若葉
御眼の涙をぬぐって差し上げたい---
そんな気持ちが伝わってきます
盲いた眼を持って日本に渡って来られた鑑真像を拝し---
静かに閉じられている二つの眼に打たれますね!




『天平の甍』の著者 井上靖は
『おん目の雫』と題する著述で

芭蕉の句について-----
芭蕉は鑑真像の 盲いた双の眼に 
それと露わならぬ悲しみを 涙を感じ取ったのである



天平8年前後は鑑真にとっては
最も苦しい時期であった
その苦しい時期のことを思い出す
度に必ず榮叡と祥彦の二人は
鑑真の瞼の上に浮かんできたに違いないと思う

そして その都度 鑑真の盲いた眼は 何ものでも拭うことが
できぬ 涙であったことであろうと思う---芭蕉はその涙を
若葉でぬぐって差し上げたいと思うたのである」-(井上靖)






{若山牧水} 

「水楢の柔き嫩葉(わかば)はみ眼にして
花よりもなほや白う匂はむ」  
「盲ひてなお浄慧(じょうえ)の人は明らけし
面もちしろく春を寂びてぞ」    
「み眼は閉ぢておはししかなや面もちのなにか  
      湛へて匂へる笑を」

{会津八一} 
「大寺のまろき柱の月かげを土に踏みつつものをこそ思へ」


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