2010/04/18

《不到長城 非好漢》~~(The Great Wall)

《長城に到らざれば  好漢に非ず》

東は河北省 渤海湾
山海関から~西は甘粛省の
嘉峪関迄~全長6000㎞の
《大 城 壁》
建国の父 毛沢東が詠じ
荒廃した万里の長城の復興に
懸命に尽力された鄧小平
土塁と煉瓦で築かれた 万里の長城は
三分の二が崩れかけているとも
云われているそうですね!

秦の始皇帝30万の軍兵 数百万の農民を
動員 修復 連結-その後の王朝も増築を続け
匈奴と城壁を境攻防を繰り返した 《長 城 


八達嶺.慕田峪.司馬台-なかでも風光明媚 
八達嶺長城--北京から八達嶺へ行く途中には
難攻不落の関所の跡である居庸関がありますが
北京の北西約70㎞--明代に修復された八達嶺 

前回 訪問時と同様に欧米人を始め遠来の多くの
訪問者と伴に登り乍 雄大な万里の長城 
景色を眺める事が出来ました

不到長城 非好漢〗 (毛沢東主席

万里の長城に到らない者は立派な男ではない




清朝皇帝の
避暑山荘~
《承徳 離宮》

承徳
避暑山荘--

中国最大の皇室の庭園--
煙雨楼 金山亭 如意州 文津閣 等々は
小生が2月に訪ねた--《江南地方》を
彷彿させられました
1700年代に建立されたと言う《外八廟 》--
チベット仏教を重視したとも言われている清朝
普陀宗乗之廟》 チベット仏教の寺院
北京の祈年殿にも似た《普楽寺の旭光閣》--
世界一の木彫仏像《普寧寺の大乗之閣》等--
奈良の 大仏様も顔負けですね!
外八廟の普寧寺では僧人案内で--高さ22m
世界最大級の木彫り観音菩薩像を2階まで上り
仏像全体を拝見出来ました 謝 謝 !



中国最大級-木造建造物-
紫 禁 城. 太 和 殿


皇帝が五穀豊穣を祈った
天 壇 公 園---

北京原人の頭蓋骨の化石--周口店猿人遺址


今回は
三度目の
華北・北京行
でしたが~


明.清の
歴代皇帝の
紫禁城.
故宮博物院

西太后ゆかりの頤和園
明代13人の皇帝 明の十三陵
世界最大級の人工建造物
万里の長城<八達嶺>.諸民族と中国の様式
寺院群外八廟・皇室庭園.避暑山荘
歴代皇帝が五穀豊穣を祈った場所と言われる
天壇公園そして北京原人の頭蓋骨の化石が
発見された 周口店猿人遺址 等々~~
昨今流行りの世界遺産巡りでしたが----


本年2月に訪れた 情 ~~~
そして今回は華北地方~~時空を超えた
悠久の歴史の地 目まぐるしく進化する
超近代都市 機会をみて再々度じっくりと
訪問致したいと思っています



屈指の行程二萬
指折り数えられる程の難路を
行軍して既に二万里  
六盤山上高峰
上を見ると六盤山の高峰があり
紅旗西風に漫かに捲かる

沁園春
北國風光 千里冰封 萬里雪飄  
望長城内外 惟餘莽莽 大河上下
頓失滔滔 山舞銀蛇 原馳象----
《毛沢東 詩詞》


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2010/04/08

{吉備大臣入唐絵巻}~~里帰り     《命をかけても伝えたかった!》

「国宝 聖観音菩薩立像」{薬師寺}~「観音菩薩立像」
{ペンシルバニア大学博物館}~
日中両国を代表する観音像の共演


吉備真備の大唐での活躍を描いたとされる

{吉備大臣入唐絵巻}
630年~894年迄の約260年間に及び唐へと
命を懸け遣唐使船で海を越え~
命をかけても伝えたかった!
貴重な文化財---そして山上憶良.吉備真備.等を始め~
最澄・空海の密教工芸の至宝の出陳・京都・安祥寺の本尊
{十一面観音像}の等々~貴重な文化財が

{平城遷都1300年記念事業}~「大遣唐使展」が
奈良国立博物館にて4月3日より開催されています
(平成22年4月3日(土)~6月20日(日))







*(毎週月曜日は休館日
 *5月3日(月・祝)は開館)
小生が登大路の奈良国立博物館・

「大遣唐使展」に最初に訪ねた日が
4月5日(月)(笑) 
残念乍休館日でした
  皆さんも御注意の程!



お隣には リニューアルした興福寺・国宝館~~
昨今の《歴女》ブームで  {天平の美少年}
阿修羅 を探求せんものと 中国を始め 欧米各地からの
遠来のお客さんで大賑わいでした!


Have a nice trip !

奈良国立博物館・「大遣唐使展」では
4月10日(土) ~6月19日(土)迄
以下の様な[公開講座] [関連イベント]等々が
予定され 楽しみな日々が続きそうです

《公開講座 》
4月10日(土)「仏教美術の東伝と遣唐使」
5月8日(土) 「吉備大臣入唐絵巻-奇観無双の絵-」
5月29日(土) 「平城京と遣唐使」
6月19日(土) 「空海の舎利信仰-法門寺から東寺へ」

《関連イベント》
4月17日(土) トークイベント「大遣唐使展の楽しみ方」
5月15日(土) 特別講演会
「遣唐使の時代?倭から日本へ?」
6月5日(土) 国際学術シンポジウム 
「東アジアの造形芸術と遣唐使の時代」
6月6日(日) トークイベント
「大遣唐使展で仏像に会おう!」







桜花爛漫~元町.門前町 生駒聖天~参道 



桜花は 休眠打破した後 

気温が高い程
花芽の生長が早く進み

開花が早まる—と
されています

つまり 桜は夏頃に

翌春咲く花のもととなる
花芽を形成し 休眠に入り~~
花芽は冬の低温に一定期間さらされると
休眠打破(気温が高くても低すぎても
休眠打破は起こらないとされていますが~)
花芽は休眠打破のあと 温度の上昇とともに
生長し開花するとされています

例年の事乍ら 寓居から

徒歩で数分の距離にある
生駒聖天への参道でもある--元町の~~
古木の桜花群 桜並木のトンネルを潜れる

充実感を満喫出来ました
ただ門前町の 古老の

御言葉によれば--
花の咲く時期は勿論 

 常日頃から
手入れも大変だそうです

生駒聖天(宝山寺)への

参道沿いの古木--桜並木
 今年も見事に咲き誇っています
また 宝山寺までの
長い石段沿いには
茶店や土産物屋 旅館などが

建ち並び昔ながらの風情も
楽しめます

歓喜天が守護神 であり 「現世利益」 の
宝山寺は 商売繁盛等にも御利益が有ると
言われ多数の参詣者が集まって来られます

生駒山は 古くから神霊の宿る山として崇められ
役小角 空海の修行の地との伝承があります
真言律宗 正式名は「都史陀山大聖無動寺」
延宝六(1678)年 宝山湛海の開山
本尊は不道明王だが 聖天さん と 呼ばれる
大聖歓喜自在天への信仰が強いとされています

この寺の信仰は 般若磐 と 呼ばれる 安山岩の

突起に出来ている洞穴に見る 巨石信仰にあり 
特に生駒市から南へ行った処から見る
岩山にはただならぬものを感じます




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2010/03/13

春寒の弥生~1259回目の 東大寺修二会

春を呼ぶ~ {}--南無観世音---古都の祭典

治承4年(1180)   平重衡の南都焼き打ちにより
東大寺・興福寺は甚大な被害を蒙り---
東大寺の大仏殿が焼け落ち盧舎那大仏が大破--
堂塔伽藍---内部に安置されていた幾多の
尊像と共に灰燼に帰した時も~~

また永禄10年(1567)松永久秀の軍勢により
二度にわたって東大寺は焼き打ちに会う等々--
幾多の辛酸を潜り抜け~~

1250年以上に渡り連綿と続けられている---
まったく媚びない倭の伝統行事が始まりました

古都に
本格的な 
春を呼ぶと
われてきた-




東大寺
ニ月堂
「修二会」
(お水取り

東大寺開眼の2ケ月前
つまり752年天平勝宝4年
2月1日 二月堂で
修二の悔過を修したとされるのが
修二会」の始まりで
250年以上に渡り 連綿と続けられています

童子による 炎の瀧 
修二会は「二月を美しいものにする」--
と言う意味もあるとされています

東大寺二月堂 修二会は大まかに分けて
2月20日~28日迄
「別火」と呼ぶ「前行」
3月1日~14日までの
「本行」の前に同じ火で 
煮炊きしたものを
食べたり 同じ火にあたったりする~
聖なるものも 俗なるものも 伝播するので
火を分けることを意味するとのことで
手向山八幡宮の宮司が練行衆の別火坊入りや
参籠宿所入りに先立って台所・仏餉屋・浴室
湯屋のかまどの清祓を行い 火のまわりを
清め若狭井や良弁杉に掛ける 注連縄に挿す
幣を作られます


炎の瀧---二月堂欄干の
  「籠松明」

眞竹の先に杉枝を薄い松板で
籠の様にして包み 
藤蔓で縛った
籠松明」重さは
60キロ~80キロ
童子が肩に担いでゆっくりと石段を上り
天井に届くほどの炎に先導された練行衆
ニ月堂に上がって行かれる~~~

おたいまつ」は 上堂する 練行衆
道明かりともなり 練行衆は十一人いますが
処世界という役の者は先に上堂して
掃除など準備をしているので
おたいまつは 十本となります
この 大松明の作成は勿論のこと
練行衆のお世話をするのが童子の役と
されています

道明かりを 点火されるのが 加供奉行
中灯さん~ 行きまぁ~すぅ」~
練行衆の役回りを 呼びながら~~
手松明から~上堂松明り---
火は 一気に燃え上がっていきます

平成21年(2009) からは 十本の松明が
二月堂の欄干で打ち振られていません~~
和上・大導師・咒師 等々上役である 3人の
松明は宿所価から二月堂への階段を上がった
所で消されているそうです~~~
観音菩薩の御祈りを捧げる行法が華美に
なる事を戒めた為だとも言われていますね!

童子によって作られた大松明が---
修二会で焚かれ二月堂の欄干から振り廻されると
一斉に怒濤の歓声が上がり 
火の粉を被ると 一年間無病息災だと
されています

火天役の 練行衆 松明を引いて
二月堂 内陣を駆け回る炎の行 「達陀

修二会 本行終盤には 勢いよく燃える松明---
水天役の僧と共に踊り跳ねる
仕種を繰り返す--
達陀・妙法が行われ~
幼子に金襴の達陀帽を
被せる習わしがあります
達陀帽をかぶった
子供は健康に育つと
言われていますね!


一昨年迄は {中灯 童子 } として
大松明を持つ 童子を務められたのが
生駒の小生宅の近所にお住まいの
門谷敏也さんです
今年は御事情により御休場となりましたが---
中灯さん~行きまぁ~すぅ--あの元気な声が
聞かれず~~東大寺 二月堂 大欄干で乱舞した
勇壮な炎「籠松明」を持たれた門谷敏也さんの
あの 雄姿が観られないのが---誠に残念な限りです

童子 聖域に入ることを許された神に近い子
資格を持った人達であり ------
練行衆に 其々一人ずつ付かれ
門谷さんは 二月堂・大宿所で
大松明の作成や食事等 練行衆の
御世話で昼夜を問わず
多忙を 極められていました


門谷敏也さん宅の門前
{今年も}置かれている」--
二月堂大欄干--
勇壮な炎が闇夜に乱舞した
籠松明-- 《無病息災》を齎して頂く
大松明(8M)・重さは 80キロと言われる~
籠松明」~身近に眺め手に触れる事が出来--
あの日の感動が蘇えり本当に有難う御座いました

          多謝!   多謝!




走る 火影 揺れる あふれる涙 燃える
 燃える 燃える 松明 「修二会」

春寒の弥生三月春まだき
君の肩にはらり 良弁椿
ここは東大寺 足早にゆく人垣の
誰となく独白く南無観世音 
折から名残り雪

君の手は既に 凍り尽くして居り
その心 ゆらり 他所にあり
もはや二月堂 天も焦げよと松明の
炎見上げつつ何故君は泣く 雪のように
火の粉が降る~~~》修二会
 さだまさし 作詞・作曲



法華堂(三月堂)「北門」) 
芭蕉の句碑

龍王之瀧」の前
大仏殿の創建よりも古い 天平4年(733) 
良弁僧正創建の「金鐘寺」の一堂である
法華堂(三月堂「北門」)にある 
芭蕉の句碑 には~~~

水取りや 籠の僧の 沓の音

ところが 松尾芭蕉 貞享元年 伊勢・伊賀・
大和・近江を巡った「野ざらし紀行」の
稿本・写本の中でも 芭蕉 直筆とされている
天理本』には[籠の僧]ではなく [氷の僧]
なっているそうです

 二月堂に籠りて (前書)
水取りや 氷の僧の 沓の音

(*小生 天理大学付属天理図書館は地元でもあり
高校生時代から良く利用させて頂いていますが
残念乍ら 未だ芭蕉 直筆とされている
天理本 原本を拝読させて頂いていませんが~

俳壇 大御所によれば
氷の僧だから名句だと言える! 
籠の僧とすれば 駄句に過ぎない!」とのこと -----

水取りや 井をうちめぐる 僧の息  大江丸

水取りや 瀬々のぬるみも 此日より
          蓼太


幾多の辛酸を潜り抜け~~
1250年以上に渡り
連綿と続けられている~~
まったく 媚びない 倭の伝統行事

世界的な経済危機~~毎夜午後8時頃から営まれる
初夜の法要では~~世界平和や病気平癒の祈りに加え
経済危機からの脱却を祈り~諷誦文
祈願文が読み上げられています~~~
世界各国が自国優先の保護主義が広がれば---
世界の貿易や経済は 更に縮小均衡に
陥る事が必至ですね!

経済危機からの脱却・祈願文が読み上げられ
東大寺 ニ月堂の 修二会 本行が終わり~~
大和路に春本番」がやって来ました


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